貧しかった戦後、北アルプスで挑んだ最先端 ニュートリノ観測の源流

有料記事

小林哲
[PR]

 北アルプスの高地に、日本の素粒子研究を支えてきた観測所がある。岐阜県長野県にまたがる乗鞍岳(標高3026メートル)にある東京大学宇宙線研究所乗鞍観測所だ。1950年に建てられた観測小屋から出発し、日本に二つのノーベル物理学賞をもたらしたニュートリノ研究につながる源流となった。

 なぜ、そんな不便な場所に施設を作ったのか。歴史をたどると、戦後の困難な時代に最先端に挑む科学者たちの知恵と熱意が伝わってきた。

 ふもとの長野県松本市で1日、乗鞍観測所の開設70周年を記念して式典が開かれた。

 オンラインを含め約80人が参加。観測所を運営する東大宇宙線研究所の中畑雅行所長はあいさつで「数々の成果を通して日本の宇宙線研究は大きく発展した」。

 前任の所長でノーベル物理学賞を受けた梶田隆章特別栄誉教授は「日本の宇宙線研究が世界の中で大きな存在感を示すことができるのは、70年前に設立された乗鞍観測所の存在が極めて大きかった」などと語った。

 標高2770メートルの山頂付近にある観測所では、大気に阻まれて地上では観測しにくい宇宙線を詳しく調べることができる。

 研究機材や食料、燃料などを運び込み、研究者や職員たちが交代で泊まり込んで観測してきた。

 豪雪に覆われる冬場は、スキーや雪上車を使って往復するが危険も伴う。参加者たちは、滑落しそうになったり、吹雪で遭難しかけたりした思い出話で盛り上がった。

 2004年からは常駐は夏場だけとなり、それ以外の期間は遠隔操作で研究を続けている。

出遅れた日本の「苦肉の策」

 観測所の前身は、1950年に建てられ、関係者が「朝日の小屋」と呼ぶ木造平屋の小屋だ。朝日新聞社が「宇宙線の研究」のために大阪市立大や名古屋大などに贈った奨励金100万円が原資になった。

 53年に東京大に移管され、全国の研究者を受け入れる国内初の共同利用施設となった。

 当時の日本の素粒子研究は、湯川秀樹博士や朝永振一郎博士らが理論物理学で世界的な業績を挙げていたが、理論の検証に欠かせず、新たな発見にもつながる実験物理学の分野は、敗戦の影響もあって欧米に大きく立ち遅れていた。

 当時は、宇宙から地球に降り注ぐ高エネルギーの粒子である宇宙線の観測から未知の粒子を見つける手法が主流で、大気の影響を受けにくい高地で欧米の観測が進んでいた。

 湯川博士が存在を予言し、49年のノーベル物理学賞につながった中間子も、英物理学者のチームが欧州のピレネー山脈や南米アンデス高地で行った観測で存在を裏付けたことが決め手となった。

 さらに、欧米ではこのころから大型加速器を使った粒子の衝突実験も本格化。新たな研究分野が幕を開けようとしていた。

 日本も戦時中、理化学研究所や大阪大、京都大が加速器のサイクロトロンの開発に乗り出したが、終戦直後にGHQの指示ですべて廃棄処分となった。

 大型実験設備のない日本で世界的な成果を上げるために選ばれた「苦肉の策」が、高地の利点を生かして低予算で研究を始められる宇宙線観測だった。

 宇宙線研究所の中畑雅行所長…

この記事は有料記事です。残り882文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら