四国のへそで加害の歴史と向き合う 無関心だった市職員が変わるまで

有料記事

武田肇
[PR]

 吉野川の支流、愛媛から徳島に流れる銅山川の水が削ったV字形の渓谷に、夏草に覆われたコンクリートの橋脚が立つ。近くを高知行きの特急「南風」が走り抜ける。

 「見てください。あれが朝鮮人の労働者が建設に携わった鉄橋跡です」

 7月下旬、徳島県三好市山城町に残る「旧伊予川橋梁(きょうりょう)」を、市職員の田口勇作さん(41)が案内してくれた。

 開通したのは日中戦争が始まる2年前の1935(昭和10)年。四国山地を縦断し、瀬戸内海側と太平洋側をつなぐ土讃線(現・JR土讃線)の一部だったが、戦後の50年に防災上の理由で新線に付け替えられ、橋脚だけが残る。

 「竹で足場を組み、厳しい環境で難工事に取り組んだという地元の人の証言があります」

 徳島県の最西端に位置する三好市は、香川、愛媛、高知の3県に接し「四国のへそ」と呼ばれる。田口さんは戦前・戦中、植民地だった朝鮮の人たちが建設工事に動員された市内の痕跡を巡るフィールドワークの案内人をボランティアで続けている。

知らなかったことにがくぜん

 きっかけは2015年、田口…

この記事は有料記事です。残り1294文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

  • commentatorHeader
    遠藤乾
    (東京大学大学院法学政治学研究科教授)
    2023年8月24日9時39分 投稿
    【視点】

    知ること――それは大事な一歩ですね。記憶すること――それは未来をも形づくります。とくに否定的な歴史は、それを将来繰り返さないために知る必要があります。  謝罪というのとは少し異なるという感覚を持っています。実際に何もしていないのに他者から

    …続きを読む