ナチスの金塊運んだ国境駅が再生 運転手が見つけた数奇な歴史の記録

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カンフラン=国末憲人
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 フランススペインとを隔てるピレネー山脈の谷間に、その威容から「山のタイタニック」と称される建物があります。国境のトンネルのスペイン側出口に設けられた「カンフラン国際駅」。戦前は両国間鉄道輸送の大動脈として栄えましたが、戦後廃れ、廃線となって半世紀あまりが経ちます。一部廃虚と化していたこの駅舎が今年、最高級ホテルとしてよみがえりました。現地を訪ね、その数奇な歴史を振り返りました。(カンフラン=国末憲人)

 3千メートル級のピレネー山脈を越えるソンポール峠(標高1632メートル)は、中世にサンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼路として栄えた街道だ。古くはゲルマン民族が移動し、8世紀にはイスラム軍がここからフランス側に攻め上がった。19世紀にはナポレオンの兵士がスペイン側に軍靴を進めた。

 パリ―マドリード間の貨物も長らく、このルートを通っていた。線路幅が異なる両国の貨物は、トンネルのスペイン側出口に設けられた「カンフラン国際駅」で積み替えられた。間口241メートル、宮殿の風格を持つ駅舎は1928年に完成。この路線のにぎわいぶりを象徴し、式典にはスペイン国王とフランス大統領が参列した。

 戦後、大西洋岸の鉄道路線が開拓されてソンポール越えの路線は廃れ、70年には鉄橋落下事故を機にフランス側が廃線になった。国際駅の駅舎も一部が朽ち果て、2004年に私が初めて訪ねた時はさながら幽霊屋敷の様相だった。

 その駅が改修され、最高級の五つ星ホテル「カンフラン駅ホテル」として今年1月に開業したと聞いた。この地域に詳しいフランス人の友人ジョナタン・ディアスさん(63)とともに、3月に現地を再訪した。

古びた木製の額をたどると…

 マリア・ベジョスタ総支配人(43)の案内で、内部を見せてもらう。「周囲の自然が豊かなので、環境保護意識の高い方々にホテルを愛用していただいています」という。

 104の寝室は真新しい家具に彩られ、高級感にあふれる。内装は寝室ごとに異なるが、どの部屋にもかつての駅の姿を物語る様々な写真が壁にかけられている。ただ、写真を収めた木製の額だけが古びて擦り切れ、室内で少し浮いていた。

 額は、半ば廃虚となっていたころの駅舎の窓枠だという。当時の記憶を伝えようと、再利用されて各部屋に取り付けられた。つまり、この窓は駅の歴史への入り口なのだ。

 第2次大戦中、フランスはナチス・ドイツに支配され、スペイン側はフランコ独裁政権が統治した。中立国スペインは、この駅を舞台にナチスとひそかに交易を続けていた。

 その実態が明らかになったのは2000年。駅舎横の線路上にちらばっていた戦中の貨物の通過記録を、1人の男性が偶然見つけたのだ。

 そこには、ナチス・ドイツが1942年6月~43年12月、この駅に金の延べ棒を運び込んだと記録されていた。ユダヤ人から奪ったのだろうか。総計は86・6トンに達した。その見返りなのか、スペインからナチスには、砲弾や装甲車両の製造に不可欠な金属タングステンが大量に送られていた。

 ベジョスタ総支配人は、この記録について「大発見をした人がいたのです」と説明する。ただ、それが誰かは知らないようだった。

 目の前のディアスさんが、無…

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