「スーパーFJ日本一決定戦」の決勝。静岡県の「富士スピードウェイ」で昨年12月11日に行われたこのレースに、高校2年生の清水啓伸(ひろのぶ)選手(17)は大きな決意を持って臨んでいた。
スーパーFJは、モータースポーツの規格の一つ「フォーミュラカー」を使ったカテゴリー。はるか先の「F1」を見据え、挑戦する次世代ドライバーの登竜門の一つになっている。
最高速は時速200キロ超。現在、唯一の日本人F1ドライバーの角田裕毅選手(22)も16歳で参戦した2016年の「日本一決定戦」で優勝した。
日本一決定戦の決勝は、全長4・563キロのコースを12周する。富士のメインストレートは1・475キロあり、世界有数の長さを誇る。
「ストレートで速く走れれば、コーナーを多少犠牲にしても優位になる」。清水選手はそう思い描き、ストレートで速度を出せるよう、マシンをセットアップした。
前から3番目の好位置からスタートしたものの、若干出遅れ、4番手に後退。その後は食らいついた。ペースは速いものの、コーナーで前方のマシンにつくことができず、ストレートでも抜けない。終盤までそんな状態が続き、上位4台のトップ争いが続いた。
はじめは「嫌々だった」
長崎市で生まれ育った清水選手がこの世界に入るきっかけとなったのは、父・啓宗(ひろむね)さん(44)だった。
大のモータースポーツ好きで、「(啓伸選手が)小さい時からレースを見に一緒に行っていました」。
長崎県大村市には、レーシングカートのサーキット場「大村湾サーキット」がある。清水選手は小学3年のとき、啓宗さんに勧められ、初めて乗った。「でも、嫌々だったように思います」と啓宗さん。初めて参加したレースは最下位だった。
啓宗さんが印象が変わったと感じたのは、その翌年。小学4年のとき、九州のあるサーキットで行われたカート大会で初めて表彰台に上がった。レース仲間も徐々に増えていった。「その頃から、楽しんでいるようにみえました」
清水選手自身も、ずっと先にある「F1」を夢見るようになった。
中学1年になって、本格的にレーサーになることをめざし、全国の大会へ挑戦し始めた。その年には早速、カートの地方大会でチャンピオンに。中学3年で国内カートの最高峰「全日本カート選手権」のOKクラスに参戦した。
高校からは長崎を離れ、滋賀県で先輩ドライバーと生活を共にしながら指導を受けるようになった。通信制の高校に通いながら各地のレースに参戦した。
実力が認められて、18歳未満でもフォーミュラカーのレースに参戦できる「限定Aライセンス」を取得。21年の年末からは本格的にフォーミュラに乗り始めた。
他がまねできない、見ている者を楽しませるドライビングをする――。粗削りだが、度胸がある――。徐々に評判になった。
実力だけでは勝ち上がれないモータースポーツの世界。その頂点である「F1」をめざし、順調にステップアップする清水選手。昨年末、大きな挫折を味わいました。記事後半で紹介しています。
順調にキャリアを重ねていっ…
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