「絵と同じ気持ちで歌詞を書いていた」10代のユーミンが記した言葉

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 Spotifyと朝日新聞ポッドキャストは2022年11月から、デビュー50周年を迎えた歌手の松任谷由実さんの足跡と日本社会の変化を振り返る「ユーミン: ArtistCHRONICLE」を共同制作してきました。12月8日から2023年2月26日まで、東京・六本木の東京シティビューで展覧会「YUMING MUSEUM」(朝日新聞社など主催)も開かれています。

 展覧会の準備中、ユーミンが話した言葉とは。ユーミンの実家から見つかったものは……。朝日新聞ポッドキャスト・チーフMCの神田大介が、文化事業部担当次長・君和田敬之と、文化部記者・定塚遼にたずねました。一部を編集してお届けします。

君和田:ユーミンさんのデビュー50周年に合わせて展覧会をやろうと2年前くらいから準備しました。ユーミンさんの東京・八王子のご実家では、ユーミンさんも忘れていたような懐かしいものも探し出してきました。

神田:ご実家は元々、呉服店を経営していましたよね。どんな物が見つかったんですか。

スケッチブックをめくったら

君和田:由実さんがご実家に住んでいたのは、松任谷正隆さんと結婚した1976年までのようです。高校時代から曲を作りだめて、大学1年生でデビューして、4年間で4枚アルバムを出す、すさまじい大学生でしたが、大学を卒業してすぐに結婚しています。

 それで、ご実家に残っていた物の大半は、高校生や大学生のときのものでした。多摩美術大学日本画を専攻していて、当時描いていた絵やスケッチブックもありましたね。

神田:ユーミンご自身も長年、見ていなかった物なんですかね。

君和田:振り返って見ることはなかったようですね。でも、鮮明に説明してくださいました。印象的だったのがスケッチブックです。最初、スケッチブックを何冊かお借りして、そのうちの1冊をめくったら、歌詞が書かれていました。アルバム「ひこうき雲」を作っているときのスケッチブックで、いろんな楽曲の歌詞が絵と混ざりながら書かれていました。曲のコード進行についてのメモもありました。由実さんは「ああそうか。絵を描くのと同じ気持ちで歌詞も書いていたから」とおっしゃっていました。

神田:ユーミンは美大出身で、音大出身ではないですよね。元々は音楽より美術を志していたけど、音楽の才能もたっぷりあった。

君和田:ユーミンさんが絵を描いている女の子だったことが、当時の音楽プロデューサーたちにも納得感をもって受け止められていたと、ご自身でもおっしゃっていました。それまでの歌謡曲と歌詞が全く違って、風景のとらえ方が独特で、映画を見ているような歌詞の書き方をする。それは、日頃から物を見て絵にしていたからだと。由実さんの絵は、静物画や人物画が多いんですよ。物を見て絵にするプロセスが、歌詞や音楽を作ることにもつながっているとおっしゃっていましたね。

「メロディーは線で、コードは色彩」

定塚:私も12月7日、ユーミンさんに取材でお話を伺いました。元々、ローリング・ストーンズピンク・フロイドといったブリティッシュ・ロックが好きで、彼らの中にはアートスクールに通ったメンバーもいて、そこにあこがれて美大に入ったそうです。

 そして絵と音楽について「脳の同じ部分を使っている」とおっしゃっていました。「メロディーは線で、コードは色彩だと思っている」と。コードという色彩の移り変わりや、音という線が混じって、楽曲になっているそうです。そして「リズムというものは、絵にも歌にも音楽にも共通してあるもので、共通項が必ずある。もし絵の世界に進んでいたら、音楽をするように絵を描いていたかもしれません」とおっしゃっていましたね。

 展示されている絵はシンプルで、あまりいろんな物を描き込んでいません。そぎ落としていくような美学が、もしかしたら絵や音楽に共通して存在するのかなと思いました。

神田:「ひこうき雲」のアルバムもシンプルで、それでいて胸にぐっと刺さるところがありますよね。やっぱり絵と音楽のシンクロは、感じられますかね。

君和田:はじめに絵を見て感じた感想は、「すごく丁寧な方だな」ということでした。中学生のころから家を抜け出して六本木や銀座でグループサウンズを聴いていたという大胆なエピソードもありますが、絵や歌詞の文字を見るとすごく丁寧に感じます。会場で展示した、手書きの歌詞の原稿や譜面も、すごく丁寧です。2020年にリリースされたアルバム「深海の街」の原稿も、10代のときの原稿も、同じように丁寧に文字が書かれている。破天荒なエピソードとは違うギャップがあり、すごく丁寧な印象を持ちました。

展覧会は「新機軸の表現」

神田:ユーミンを取材した複数の記者に、話を聞きました。パブリックイメージではゴージャスな感じがありますが、実際のユーミンにはまた違う部分もあるという話がすごく印象的でした。君和田さんも、ユーミンとはよく話していたんですか。

君和田:展覧会の準備期間が2年くらいあったんですけど、最初は事務所のプロデューサーの皆さんと「ユーミンさんのこれからの活動のためにどういう展覧会をするのが良いのか」と長く議論をしました。元々、歌詞の原稿もステージ衣装も、展示するために作られたものではないですから。由実さんにご提案するまでに議論を重ね、1年半くらい前に初めて由実さんとディスカッションしました。そのときのことは忘れられません。

 僕は「どんなとがり方で、展…

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