記者コラム 「多事奏論」 天草支局長・近藤康太郎
今年、米作りが9年目に入った。近隣では、とうとうわたしが最後の一人である。大先輩の農家が亡くなったり、高齢で引退したり。だから、道で隣人に会うと「えらい、顔つきが百姓らしくなったの」とほめられる。お世辞9割だが、文章をほめられるよりうれしい。「百姓」に軽侮の意味はない。わたしにとっては尊称である。
田舎ではほとんどの人が野菜畑をしている。でも、水田は少ない。きついのを、みんな知っているのだ。猫のひたいの棚田ばかりで段差も多い。手押しのテーラー(耕運機)を移動させるだけで一苦労だ。
そもそもは、死ぬまでライターを続けるための兵糧米作りだった。記者を外されようが会社がつぶれようが不景気で原稿料が下がろうが、一生、書く仕事にしがみつく。原稿料で食えないなら、米のメシは自分で作っちまえ。そんな、自棄(ヤケ)と冗談(ギャグ)を足してへそで沸かしたような企画。
むちゃな思いつきには、じつは「戦争」も背景にあった。先のアジア太平洋戦争で、わたしたちは勝算もないのに無謀な戦いに突っ込んでいった。国全体が熱に浮かされていた。芸術家も例外ではない。たとえば文学者で、当時、世情におもねるような威勢のいい発言をした者は数知れない。
戦時色濃い中、文学者は日本…
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