食べても増えない体重…バント職人、次の夢は軽さが勝負
(26日、高校野球選手権大会 智弁学園3-2明徳義塾)
食べても、食べても、増えない体重に悩んできた。
明徳義塾の控えの内野手、西川魁星は、兵庫県西宮市の市立浜甲子園中学校の出身。自宅と甲子園球場は自転車で10分足らずの距離だった。
明徳義塾が4強入りした2016年の夏の全国選手権をアルプス席から観戦し、あこがれて進学した。
試練の日々が待っていた。
入学時は身長161センチで体重が48キロしかなかった。
パワーが足らず、打球は外野の定位置くらいまでしか飛ばない。1年のある日、ベンチプレスをしていると、馬淵史郎監督がふらりとやってきた。
「西川はバーだけでいいぞ」
バーの重さはたったの10キロ。意地になって20キロのおもりを二つ追加してみた。
食事はしんどい時間だった。柵越えを連発する仲間は、平気で茶わんに山盛りの白米を2杯、3杯とおかわりしていくのに、自分は1杯で満腹になってしまう。
親が心配して、「食が進むように」と、ふりかけや缶詰などを寮に仕送りしてくれた。寝る前には、電子レンジで温めた餅を三つ食べた。
懸命の努力も実らず、身長167センチ、体重55キロで最後の夏を迎えた。
本塁打を打ったことはない。その代わり、バントだけは完璧にできるように練習してきた。
「体重が増えたら試合出したるわ」と言っていた馬淵監督が、自分のバントを頼ってくれるようになった。
背番号13を勝ち取り、甲子園では三塁コーチを任された。出番は1度だけ。2回戦の明桜戦、3点リードの九回だった。
無死一塁で代打を告げられた。役目はもちろんバントだ。最初のストライクを投手の前へきっちり転がした。味方の3得点につなげた。
智弁学園と大接戦になったこの日、1点リードの九回無死一、二塁のピンチで伝令に出た。
「一つずつアウトを取っていけ」と伝えたが、1死もとれないまま逆転サヨナラで負けた。
野球はこれでおしまい。
担任の先生や両親のすすめで、これからはボートレーサーを目指す。
部員113人の明徳でベンチ入りを勝ち取った。「113分の18」、倍率は6・27倍だった。
ボートレーサーの養成所では20倍以上の競争を勝ち抜かないといけないそうだ。
でも、自信はある。いままで苦しめられ、でも自分を頑張らせてくれたコンプレックスが強みになってくれるはずだから。(高岡佐也子)
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。
【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら