認知症の夫が火災、留守にした妻に責任は

阿部峻介
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 認知症の夫を家に残して妻が用事で出かけた時、火事が起きた。隣の家に燃え移り、裁判で賠償を求められた妻。判決は夫婦の助け合いを義務付けた民法の規定を当てはめ、妻に賠償を命じた。介護に明け暮れ、わずかに目を離したすきの惨事。その責任のすべてを妻は負わなければならないのか――。認知症500万人時代、社会が支え合う仕組みを求める声があがる。

 大阪地裁判決(谷口安史裁判官、5月12日付)によると、火災は2013年4月2日夕、認知症を患う当時82歳の夫と、妻(73)が暮らす大阪府内の住宅で起きた。妻が郵便局に出かけて留守中、3階の洋室付近から出火して29平方メートルが焼け、隣家の屋根と壁の一部に延焼した。夫が紙くずにライターで火をつけ、布団に投げたとみられると現場の状況から認定した。

 夫は11年8月に認知症と診断され通院。警察は刑事責任能力がないと判断し、大阪府が措置入院とした。2カ月後に退院したが昨年11月、84歳で亡くなった。

 夫婦は延焼の損害を補償する火災保険には入っておらず、隣家の住人は昨年4月、夫への監督義務を怠ったとして妻に200万円の賠償を求めて提訴。妻は「夫は他人に危害を加えたことがなく、当日も落ち着いていた」と反論した。

 判決は、火災の前月ごろから夫は認知症が進み、姉に「妻が死んだ」と電話するなど妄想による言動があったと指摘。民法752条の「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」という規定を踏まえ、妻には夫が異常な行動をしないか注意深く見守る義務があったとし、夫を残して外出したことは「重い過失」と判断した。

 そのうえで、隣家の修理費143万円のうち弁償済みの100万円を差し引き、残り43万円の支払いを妻に命じた。妻は納得できず控訴し、審理は9月1日から大阪高裁で始まる。

「家でみとりたかった」

 「私は、どうすればよかったんでしょうか」。裁判で賠償責任があるとされた妻は取材にそう漏らした。

 火災の約1時間前、郵便局の不在通知に気づいて出かけた。夫と「車で旅行にでも行こうか」と話し、全国道路地図を通信販売で注文していた。ようやく届いたかと弾む気持ちで伝えると、夫は「行っといで。テレビ見てるから」。そう返す姿は落ち着いて見えた。

 夫は化学薬品会社の元営業マン。定年後は夫婦で卓球を楽しむ日々だった。その夫に異変が起きたのは火災の2年前。部屋で一点を見つめ、動かない状態が続いた。認知症だった。夫は「情けない」と嘆いた。

 妻は自宅介護を選んだ。一人息子を育て上げ、夫婦で共に歩んできた人生をまっとうし、その最期も家でみとりたかった。そんな選択ごと判決に否定された気がして、悔し涙が出る。

 「同じような境遇の人は大勢いる。控訴審では、そんな人たちの心を少しでも軽くする言葉がほしい」

「社会全体で救う制度を」家族の会

 認知症の人によるトラブルをめぐっては愛知県で07年、91歳の男性が徘徊(はいかい)中に列車にはねられ死亡した事故で、JR東海が遺族に振り替え輸送費などの賠償を求めた訴訟の一、二審判決も妻に賠償を命じた。

 賠償責任の根拠はやはり、夫婦の助け合い義務を定めた民法752条だった。この規定は戦後まもない1947年にできた。まだ家族の人数が多く、地域の絆も強かった時代だ。

 「核家族化が進み、認知症患者を支える身近な人は限られるのが現実。民法の規定を機械的に当てはめ、過度に責任を課すのは酷だ」と棚村政行・早稲田大教授(家族法)は言う。「保険や補償制度など、認知症のリスクを社会全体で負担する仕組みが必要だ」

 全国の当事者でつくる「認知症の人と家族の会」(京都市)も、賠償責任を本人や家族だけに負わせず、社会全体で救済する制度をつくるよう求めている。厚生労働省の担当者は「何らかの仕組みは必要だが、具体策の検討には至っていない」と話す。

 厚労省によると、高齢者(65歳以上)の認知症患者は2012年現在462万人で、高齢者の7人に1人の割合。10年後には700万人に達し、5人に1人になると予想される。(阿部峻介)

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