人生の贈りもの一覧

    1965年、アメリカのカリフォルニア州で、航空機の騒音や自動車排ガスなど公害の調査を行った(手前)。奥は加藤一郎東大教授

    (人生の贈りもの)元中央環境審議会長・森島昭夫:3 市民と一緒に「環境を考える会」(04/23)

     (79歳) ――東大助手から名古屋大の助教授に転任し、四日市公害訴訟に出会います 三重県四日市市のぜんそく患者9人が、コンビナート企業6社と裁判で争っていた。津地裁四日市支部で傍聴すると、原告弁護団に僕のゼミの卒業生がいた。「これじゃ勝てないよ」と声をかけると、「手伝って下さい…

    (人生の贈りもの)元中央環境審議会長・森島昭夫:2 法律探究の道へ(04/22)

    引き揚げ者の子どもたちを喜ばせようと、人形劇の準備をする森島さん(真ん中)。セツルメント活動の一つだった=東京都目黒区の東大駒場寮

     (79歳) ――朝鮮半島の平壌(ピョンヤン)の生まれです 滋賀県出身で貧しかった父は、若い頃に平壌の小間物店で働き、呉服屋を営むようになり…

    (人生の贈りもの)元中央環境審議会長・森島昭夫:1 役所の「隠れみの」ではない(04/21)

    昨年6月に弁護士を開業。毎日、事務所のある丸の内ビルに通っている=東京都千代田区

     (79歳) ――環境省の中央環境審議会の委員、会長として政策にかかわってきました 審議会はいろんな立場や意見を持った委員が集まります。議論…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:10 日本の将来へ、夢はまだまだある(04/18)

    大阪万博で日本中を驚かせてから44年。78歳になっても、「世界の人々を驚かせたい」と着想し続ける=西田裕樹撮影

     (78歳) ――日本の行く末を憂慮し、衰退を防ごうと試みながら、壁に阻まれて挫折したことが2度あるそうですね 一つは首都機能移転です。本気…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:9 小渕さんの電話「これは召集令状だ」(04/17)

    小渕恵三首相からの「召集令状」を受け、タクシーで首相官邸へ。報道陣のフラッシュを浴びた

     (78歳) ――1997年のアジア通貨危機が、政治の表舞台に立つきっかけとなりました その前年、日米で経済構造改革や規制緩和を話し合う日米…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:8 官僚退職、世界の歴史たどる旅へ(04/16)

    セビリア万博の日本館のオープニングセレモニーに出席した堺屋さん(左端)。隣は政府代表を務めた盛田昭夫ソニー会長(当時)

     (78歳) ――1978年秋に通商産業省(現経済産業省)を退職し、以後は作家、経済評論家として活躍します 80年、NHKから「大河ドラマに…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:7 引き出物は自著「団塊の世代」(04/15)

    妻の史子さんは結婚後、洋画家として活躍している。夫婦で海外旅行に行く機会も多かった

     (78歳) ――1975年11月に史子(ちかこ)さんと結婚します 妻を紹介してくださったのは、東大で建築を教えていた生田勉先生です。お見合…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:6 石油危機予測、デビュー作の衝撃(04/14)

    官僚時代に作家としてデビュー。後にはパナソニックの創業者、松下幸之助さん(右)らと「世界を考える京都座会」を立ち上げるなど親交を持った

     (78歳) ――1970年9月13日、大阪万博は閉会します 開催直後の万博は客足が鈍かった。国民は、万博とは何か想像できなかった。だが、「…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:5 万博開催へ「うねり」つくる(04/11)

    1968年、大阪万博の出展勧誘のために日本万国博覧会協会の職員(左)とモーリシャスを訪ねた

     (78歳) ――万博の実現に向けて、ひとり動き出します 参考にしたのは、豊臣政権を支えた五奉行の1人、石田三成。三成は豊臣政権で平取締役に…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:4 流行のフレーズ「巨人、大鵬、卵焼き」(04/10)

    旧通産省の官僚だった頃。野球大会でキャッチャーを務めた

     (78歳) ――通商産業省(現経済産業省)に就職しました 地域開発に興味があったので、官庁なら通産省と考えていました。でも、故郷の大阪に住…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:3 東大浪人中、金髪女性が相談相手(04/09)

    17歳の時に大蔵省に入省した兄、金太郎さん(右)をたずねて上京した

     (78歳) ――終戦後は食糧難を体験しました 我が家は多少の田んぼを所有していたので、田植え、稲刈りをしました。米はあっても、おかずはイモ…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:2 「一億玉砕」に疑問、先生に殴られた(04/08)

    大阪偕行社学院時代。戦況が悪化した1944年暮れには米軍機が投下した爆弾の爆発音を聞いた

     (78歳) ――本名は池口小太郎。ペンネームの堺屋太一は先祖の名前だそうですね 1585年の大坂城築城に伴い、堺から城近くに移った164人…

    (人生の贈りもの)作家・堺屋太一:1 大阪万博の成功、生涯のハイライト(04/07)

    通産官僚、作家、経済評論家、閣僚、万博プロデューサーなど人生で多彩な仕事を担ってきた。書斎には著作本が並ぶ

     (78歳) ――通商産業省(現経済産業省)の官僚だった1960年代、いち早く万国博覧会の日本開催を訴え、企画に携わり、70年に実現。34歳…

    (人生の贈りもの)ニュースキャスター・橋本大二郎:5 国のかたちを変える、これしかない(04/04)

    「抱えている職責に比して、知事の給料は安すぎる。高くしてもっと有能な人が出てきてほしい」=郭允撮影

     (67歳) ――知事時代、「県職員の採用条件から国籍条項を外すべきだ」「減反割り当て事務に県職員を関与させない」など、国にもの申す姿勢が目…

    (人生の贈りもの)ニュースキャスター・橋本大二郎:4 「高知をどうにか」31万票の重み(04/03)

    1991年12月1日、31万票余りを獲得し、前副知事を破った。当選が確実となり、万歳をする橋本大二郎さん(右から2人目)と、妻の孝子さん(左隣)

     (67歳) ――知事選が始まりました 1991年8月にNHKを辞め、すぐ高知に入って出馬を表明しました。投票まで3カ月半と短いけれど、濃密…

    (人生の贈りもの)ニュースキャスター・橋本大二郎:3 天皇の病状、淡々と伝え脚光(04/02)

    1981年に宮内庁担当になった。当時、皇族に同行する海外取材のことを「菊パック」と呼んでいたという

     (67歳) ――1989年に亡くなられた昭和天皇の病状報道で広く名前を知られました 81年に宮内庁担当の記者になりました。いずれある崩御を…

    (人生の贈りもの)ニュースキャスター・橋本大二郎:2 異母兄弟の龍太郎は弟思い(04/01)

    (左から)龍伍さん、学習院初等科に入ったばかりの大二郎さん、正さん、麻布高校1年の龍太郎さん=1953年春

     (67歳) ――お兄様の龍太郎さんとは異母兄弟ですね 麻布中学に入る時に提出した戸籍謄本だか抄本の続き柄が「長男」となっていました。母の正…

    (人生の贈りもの)橋本大二郎(67):1(03/31)

    「テレビは見る人の習慣になるのが大切。『笑っていいとも!』が終わった今、習慣を変える大きなチャンス」=郭允撮影

    ■ニュースキャスター■24年ぶりの復帰 頼られる喜び ――あすからテレビ朝日系で月〜金曜の昼に放送される番組「ワイド!スクランブル」のメーン…

    (人生の贈りもの)前橋汀子:5(03/28)

    「バイオリンを通して、多くのすばらしい人と出会い、体験ができ、そのお礼を音楽でお返ししたい」=麻生健撮影

    ■バイオリニスト■名曲弾く喜びに支えられて ――1980年に帰国して以降は日本が拠点です 17歳でソ連に留学してから国外での暮らしが長く、ゆ…

    (人生の贈りもの)前橋汀子:4(03/27)

    スイス・レマン湖畔のモントルーに住んでいた頃、隣町ヴヴェイで暮らす晩年のチャプリンを訪ねた=1976年

    ■バイオリニスト■楽譜に「シンプル」巨匠の教え ――1968年にアメリカに留学します。きっかけは アメリカの名門、ジュリアード弦楽四重奏団の…

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