【編集委員・稲垣康介】東京が2020年五輪招致レースを制した勝因は何か。
(康介が斬る)記事一覧特集:2020夏季五輪招致1回目の投票で42票(有効投票94)、イスタンブールとの決選投票(有効投票96)は、60票対36票の圧勝だった。
ふだん書き慣れているスポーツ原稿のように、明暗を分けた象徴的なシーンを一つ挙げるなら、招致決定前夜の6日、コロン劇場で目撃した光景が浮かぶ。
国際オリンピック委員会(IOC)総会開会式。開演前、1階ストール席で安倍晋三首相と高円宮妃久子さまが、すぐ後ろの席だったスペインのフェリペ皇太子と談笑していた場面だ。
刺激的な見出しをかかげるなら、こんな感じか。
「友好的な笑顔の裏で、激しく火花が散った」
その前日まで勢いがあったのはマドリード。4日付のスペイン紙エルムンドは、マドリードが開催都市を決める投票権をもつIOC委員の過半数に当たる50人の支持を固めたと報じていた。
IOC委員が泊まるヒルトンホテルでのロビー活動も、フェリペ皇太子を軸とするマドリード勢は自信にあふれていた。「皇太子は9月2日に現地に入り、到着したほぼ全員のIOC委員と会った」。サンドラ・セラーノ広報は、私に誇らしげに説明していた。
「朝から夜まで、皇太子を中心に、委員を一人ひとり口説いている。竹田(恒和招致委理事長)さん一人だけの日本と違い、IOC委員が3人いるのが強みだ」。東京の招致委幹部は焦りを隠せなかった。
スペインの経済危機に足を引っ張られていたマドリードは、7月のIOC臨時総会でフェリペ皇太子が感情豊かな演説をして、評価が急上昇していた。
対照的に、東京は窮地にいた。
東京電力福島第一原発の汚染水漏れ事故は、国際的なニュースになっていた。「安心、安全」を旗印とする東京の強みが、根底から崩れようとしていた。
大手ブックメーカーのオッズ(倍率)も、1位東京をマドリードが猛追する傾向を映し出していた。
そんななか、安倍首相がG20サミットから6日に現地に入り、久子さまは4日午後に到着していた。
「このままでは、勝つのは厳しい」。東京は攻めの戦略にでる覚悟を固めた。
久子さまは4日午後からフル稼働だった。「IOC委員で個別に会っていただいたのは50人ぐらい」「安倍首相は時間がなかったから、ロゲ会長ら大物委員を中心に10人ぐらい」(いずれも招致委幹部)。さらに2人は6日夜の開会式後のカクテルパーティーでも、精力的にIOC委員に話しかけていた。劣勢を跳ね返さなければ、という危機感に満ちていた。
ここに勝負のアヤがあった。春先まで3番手と目されていたマドリードは、流れを変えるために、7月に皇太子を投入するほかなかった。9月の総会まで温存する余裕はなかった。
しかし、皇太子効果の「鮮度」は、9月7日の本番までは持たなかった。
逆に、東京は久子さまの最終プレゼンでの登壇を、サプライズ的に演出できた。皇族の政治的な行為に歯止めをかける憲法第4条の規定で難航したことが、結果的にうまく働いた。
久子さまは流暢(りゅうちょう)な仏語と英語で「我が国の皇室がこうした形でIOC委員の皆さまの前でお話しできるのはおそらく初めてだが、皇室は常にスポーツ界の支援に熱心である。私は九つの競技団体の名誉総裁を務め、かなり忙しくしています」とスピーチした。「皇室史上初」のインパクトは、五輪貴族のプライドを満たしたと想像する。
そして、東京にとってアキレス腱(けん)である汚染水漏れ事故は、安倍首相が最終プレゼンで説明した。橋本聖子参院議員が明かす。「首相が自ら話す予定はなかったが、国のトップが説明し、IOC委員の不安を振り払う必要に迫られた」
安倍首相は、科学的な数字を示しながら説明した。「福島の近海で、私たちはモニタリングをおこなっている。その結果、数値は最大でも世界保健機関(WHO)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ。これが事実です。そして、我が国の食品や水の安全基準は、世界で最も厳しい。食品や水からの被曝(ひばく)量は、日本のどの地域でも、この基準の100分の1だ」
一見、すごく安全に聞こえる。私はブエノスアイレスで招致レースの取材に明け暮れていたから、首相の「汚染水はブロックされている」という発言に、大事なニュースを見逃していたのかと思った。日本で中継を見ていた人たちにも、唐突感のある説明だったのではないか。そうは言っても、IOC委員たちは、日本の首相の示したデータを自ら検証するすべはない。
セルミャン・ウン副会長(シンガポール)の「首相が原発の状況について説明したのは、説得力があった」をはじめ、多くの委員が好意的に受け止めた。
プレゼン全体も奇をてらわない直球勝負が功を奏した。
落選した4年前の16年大会招致は、有力視されたシカゴ(米)の切り札、オバマ大統領の余韻を消すために、「未来のオリンピアン」の夢を持つ15歳の体操少女が冒頭に登場した。さらに、「カラオケに連れて行きますよ!」など少々芝居がかった演出で、感情表現の苦手な部分の払拭に努めた。しかし、2回目の投票で落ちた。
今回は4回にわけた映像で「スポーツのチカラ」という一貫した物語性があったこと、さらにパラリンピアンの佐藤真海選手、フェンシングの太田雄貴選手らの英語でのスピーチも、情感あふれる内容だった。
ハイベルク委員(ノルウェー)は、「内容は素晴らしく、感情にも訴えるプレゼンだった」と絶賛。アルベール王子委員(モナコ)も、「日本人があのように情熱的なプレゼンをするとは、IOC委員も驚いたのではないか」と評価した。
私がマドリードを脅威に感じていた理由の一つが、3大会連続の挑戦ということだった。
4年前の16年大会招致で勝ったリオデジャネイロ(ブラジル)、そして2年前の18年冬季大会招致で勝った平昌(韓国)とも、「三度目の正直」を実らせていたからだ。
プレゼンで、サマランチ・ジュニア理事(スペイン)は力説した。
「マドリードはオリンピック・ムーブメントの発展を約束する、とは言わない。すでに約束を果たしたからだ。だから、マドリードが勝つことが、最も理にかなっている」。落選しても競技会場の整備を進めており、8割がすでに既設であると訴えた。
しかし、考えてみればおかしな話だ。3大会連続挑戦に、ある程度同情票が集まるのは仕方ないが、本来は計画、理念がそのときの招致で最も優れた都市が選ばれるべきだからだ。
今回、東京は、ある欧州の大物委員の支援を受けていた。その委員から「1992年バルセロナ五輪から、スペインはまだ21年しか経っていない、と主張したらいい」などの助言を受けていた。
さらにパリ、ローマなど24年大会の立候補を考えている国の委員は「連続開催」を嫌い、アジアの東京に流れた可能性がある。先述した東京を支援した大物委員を含め、欧州は「マドリード支持」で固まる一枚岩ではなかった。
イスタンブールが決選投票まで残ったのは、むしろ健闘に映った。
「欧州とアジアを結ぶ懸け橋での初開催」「全人口の約4割が25歳以下」という魅力的なキーワードはあったが、トルコの反政権デモでしぼんだ。ドーピングの大量摘発、八百長、違法賭博など、スポーツの尊厳をむしばむスキャンダルが頻発したのも痛かった。
14年冬季のソチ(ロシア)、16年のリオデジャネイロ(ブラジル)と、新興国BRICSでの開催がつづく五輪は、いずれの大会も会場建設が遅れがち。開幕までに準備が整うかを心配するぐらいなら、開催能力に優れ、4千億円強の開催準備金をもつ東京になびくのは自然な選択だった。
1964年に五輪を開き、開催理念を見いだしにくかった東京は、ライバル都市の弱点がクローズアップされたことで、消去法で浮上した。そもそも、3都市の争いは少数精鋭というより、それぞれが弱点を抱えたどんぐりの背比べ。1次選考で落選したドーハ(カタール)とバクー(アゼルバイジャン)を加えても、5都市しか名乗りを挙げない戦いだった。
東京の招致委のなかには、「1回目の投票は最大40票、決選投票は最大60票」というほぼ的中の得票予想があったという。
ある幹部は「投票前日、情勢を分析したら、こんな結果が出た」。想定得票の半分程度しか獲得できず完敗した4年前の教訓を生かし、確度の高い情報が集まっていたことがわかる。
7日夜、東京招致委の喜びの記者会見取材を終え、同僚とブエノスアイレスの街に出た。レストランに入ると、店員が次々と「東京のオリンピック開催おめでとう!」と笑顔で祝福してくれる。帰りにホテルまでタクシーに乗ったら、やはり黒髪で取材証をぶらさげているから察しがつくのだろう。「五輪、東京だね、おめでとう」と、自分のことのように興奮しながら喜んでくれる。
日本からみたら、地球の裏側のアルゼンチンの人たちも、五輪招致の成功は、めでたいと共感する価値観。IOCのブランド戦略は、地球の隅々に広がる。
7年後の夏、世界の視線が東京に釘付けになる。