「ただの気にしすぎ」ではない累積的な害 マイクロアグレッション考
Re:Ron連載「ことばをほどく」(第9回)
「お子さんは旦那さんが見てくれてるの?」
遅くまで働いているとこうした言葉を投げかけられるという女性は少なくないだろう。この言葉自体が攻撃的であったり侮蔑的であったりするわけではない。場合によっては、「いいひとと結婚したね」などと褒めるつもりなのかもしれない。それでも、このように言われるともやもやするし、居心地が悪くなったり、ストレスを感じたりすることもあるだろう。このような言動を「マイクロアグレッション」と呼ぶ。
今回はマイクロアグレッションとは何なのか、それがどのように害をもたらすのか、マイクロアグレッションとどのように向き合えばいいのか、を考えてみたい。
マイクロアグレッションは、もともと精神科医チェスター・ピアースが1970年代に提唱した概念だ。ピアースは黒人としての自らの経験をもとに、わかりやすい中傷や侮蔑とは異なる、一見するとささいで、しかし重大な帰結を持つ差別の形態を捉えようとした。そしてそれを「マイクロアグレッション」という言葉のもとで語ったのである。
ピアースは主に人種差別に焦点を当てていたが、のちに心理学者デラルド・ウィン・スーが人種のみならず、ジェンダーや性的指向など幅広い領域での差別と関係づけて取り上げた。スーの2010年の著作『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』は、「マイクロアグレッション」という用語が多くのひとに知られるきっかけとなった。この本は2020年に明石書店からマイクロアグレッション研究会による翻訳も出ており、また同年には新たに共著者として心理学者リサ・ベス・スパニアーマンを加え、大幅な増補改訂を施した第2版も出版されている。
私が専門としている哲学の分野ではいまのところまだマイクロアグレッションについての研究は多くないが、2020年に哲学者レジーナ・リニによる『マイクロアグレッションの倫理学』、さらにローレン・フリーマンとジェニーン・ウィークス・シュローアというふたりの哲学者が編者となった論文集『マイクロアグレッションと哲学』が出版されている。少しずつだが研究が進められているトピックと言えるだろう。
さて、マイクロアグレッションとは、もっと正確にはどういった行為を指すのだろうか。スーとスパニアーマンの著作では、マイクロアグレッションを その語義から説明している。
「マイクロ」は「マイクロファイバー」のような単語に現れる言葉で、一般的には「小さい」といったことを表す。だがスーとスパニアーマンによれば、「マイクロアグレッション」の「マイクロ」は小ささではなく、個人と個人が交流する対人的なレベルでの事柄を表すという。これは、社会構造全体を見る「マクロ」と対比される用法だ。「アグレッション」は「攻撃」を表す言葉で、この場合には加害者の意図の有無を問わず、ターゲットに害を与えるような言動全般を指す。要するに、「ひととひととが交流するような日常の何げない場面でなされる誰かに害を与えるような言動」のことを「マイクロアグレッション」と言う。
このようにまとめるとかなり幅広い言動がマイクロアグレッションに含まれることになるが、特に注目すべきなのは一見すると当たり障りがなさそうなささいな言動である。冒頭に挙げた「お子さんは旦那さんが見てくれてるの?」もその一例だ。
ほかにもミックスルーツのひとに向けられる「日本語がお上手ですね」、ゲイに向けられる「ゲイのひとたちはおしゃれだよね」といった言葉もマイクロアグレッションの例として挙げられる。マイクロアグレッションは言語を介さずになされることもあり、例えば会話の相手が介助者を伴った障害者であるときに、本人ではなく介助者のほうを見て話す、といったことも含まれるだろう。学校の授業で教員が男子学生ばかりを指名するなども該当する。
言葉が「かご」になってしまう
……というふうに述べると、「ただの気にしすぎではないか」「そんなことで差別扱いされたらたまらない」といった印象を持つひともいるだろう。実際、マイクロアグレッションとして取り上げられる振る舞いは、それだけを単独で見るとたいしたものには思えないことが多い。だが問題は、マイノリティーはそうした振る舞いを一種のパターンとして繰り返し何度も受けることになるという点にある。
このあたりは、哲学者でフェ…
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