任命拒否も、あの日の理不尽も記録して 加藤陽子さんの闘い方

聞き手 田中聡子 編集委員・高橋純子

 歴史学者として、日本学術会議の任命拒否問題の当事者として、そして女性として、静かに周りを見つめている。日々の出来事をメモに書き付け、読み返し、歴史に位置づけ直す。傷ついたことも理不尽な経験も。加藤陽子さん、周到に、しなやかに闘うその目線の先に何があるのですか?

悪い制度に出会ったら

 ――研究室の名札は「野島陽子」なんですね。

 「現在の戸籍名です。論文執筆時などに研究者名『加藤陽子』が確保できていれば、他はこだわらず『野島(加藤)陽子』なども使っています。もちろん選択的夫婦別姓論者です」

 「1996年に夫婦別姓を選べる法改正案を法制審議会が答申しても、与党内の多数ではない『不自然な少数』の反対で法案化できずにきた。明治憲法の実質的起草者・井上毅(こわし)が女帝を認めなかった理由は、なんと、姓が変わるからでした。姓が変わる、すなわち『易姓』とは中国における王朝の交代を意味します。『姓が変わったら終わりだ』という思いがあるのでしょう。反対論の根幹にある特異な歴史観を見据えた闘い方が必要です」

 「私の配偶者は予備校で日本史を教えています。彼の姓を私の姓に加えて用いるのは、大学で日本史を選択しようとする学生への参考情報になるかもしれないとの考えもありました。これまで大学に通称使用届などを出したことはありません。『悪い制度に誠実に対応しすぎない』ことが大事で、やってしまえばいいんです」

伊藤野枝にひかれる理由

 ――アナーキーですね。昨年のNHKの番組「100分deフェミニズム」では関東大震災後、憲兵隊に虐殺されたアナキストの伊藤野枝の著作を紹介していました。

 「『乞食(こじき)の名誉』は、因習的な家庭の中で子を産み、雑誌『青鞜(せいとう)』編集にもあたっていた野枝の実感に根ざす短編です。育児や家事に追われつつ仕事をする大変さを、多くの『不覚な違算』に囲まれていると端的に表現した。『想定外のことが続出し、思い通りにいかない』さまです。学会前に子どもが熱を出す、親が倒れる。家庭のケアは女性が行うべきだとの社会的規範が昔も今も多くの女性を苦しめています」

 「一緒に出演した旧知の間柄の上野千鶴子さんには『なぜ緻密(ちみつ)で周到な加藤陽子が、粗野な運動家の伊藤野枝を選ぶのか』、また『野枝の言葉なら、因習打破の方を採るべきでは』と不思議がられた。でも因習打破はある意味当たり前の言葉です。自己実現の機会を奪われてきた女性の苦しみを『不覚な違算』と看破した野枝にひかれます。自己決定権を持たない女性の姿は家族の中で見てきましたので、それこそ幼稚園児の時には自覚的でした」

 ――何があったのですか。

 「父は先妻を病気で亡くしたのですが、私の家には先妻の母、私にとって『義祖母』が同居していました。義祖母も母も辛抱強いので表だってケンカなどはありません。でも、家の中には常に緊張感がある。自分の居場所を自分では決められなかった彼女らを可哀想だと思っていた私は、小さいながらも2人の関係を取り持とうとずっと気を使っていました」

 「義祖母と母は父の意向に従うしかなかったでしょう。私が大学生になって知識を身につけ、老いた義祖母や母に向かって『自分で人生を選んでいいんだよ』と言ってみたところで、もう無理なんですよね。自己決定権の行使には賞味期限がある。義祖母や母は間に合わなかった。すみません。なんで涙が出てくるのだろう……」

 ――そういう生き方はしんどいだろうな、と?

 「ええ。自分の身の振り方を自分で決められないのは不幸だなと。また1931年生まれの母の兄弟2人は大学に進学できても、姉妹4人は行かせてもらえなかった時代でした。ならば私は、学問の力で人生の選択肢を増やしていこうと早くから決めていました。今思えば、とても優等生でしたね……」

「女性はどうせ就職できない」

 ――言葉を詰まらせるほどのやるせなさが、幼少期の体験にあったんですね。

 「東大に進学してからも理不尽な壁に出くわします。20歳の時、一つ上の東大生に電車内でげんこつで殴られ、奥歯を2本折るという尋常ならざる体験をしました。また24歳で修士論文を書き終えた時には、その発表会後の懇親会の席上、一回り上の研究者から『女性はどうせ就職できないから、僕と一緒にアメリカに行こう』などと、たわけたことを言われました。どちらも、私はその場では何もできず言い返せもしなかった」

 「『奥歯男』を前にして、当時の私は泣きもせず、『彼の友達を悪く言ったからか』だの、『母親を殴る父親を見て育った人だった』だの、頭の中では殴られた理由を列挙していたんですね。『自分の尊厳はこんなことでは傷つけられはしない』と思いたいがためだったと今では思います。ミソジニー(女性嫌悪)などの言葉自体がなかった時代です。『女性ゆえにこんな目に遭う』とは考えず、不当性に思いが至りませんでした」

 「もちろん、二つの体験は心身ともに私を傷つけました。怒りを忘れないように年月日をメモしつつ、『研究教育職のポストに就けた日』『初めてアメリカを研究調査で訪れた日』なども併せて記録し、ひとりでガッツポーズを決めたりしていました」

 ――メモしているとは。

 「卒論を書いた時から今まで、情報カードファイルに、『思いつき』『やること』『日々の研究』などのタグをつけたカードをとじていき、読書の記録、授業準備、ニュースなどを書き込んでいます。他人のSNS上の心ない発言なども記録してあります。現在、ファイルは92冊目になりました。ファイルがいっぱいになったら、重要だと思う部分を、例えば『昭和天皇実録』などのタグごと新ファイルへ移動させます。何冊かファイルがたまったらまた読み直し、自らの問題関心や時勢の変化で重要性が増した部分も新ファイルへ移します。振り返って見て、自分の予測は当たっていたのかどうかも検証できます」

 「かつて書いた本のなかで、歴史のインデックスを常に頭に置き、現在起きていることを評価する際の参照軸にしましょうなどと述べた責任があるので、自身もこのファイルを使って実践しています」

現実が学問に重なる瞬間

 ――えんま帳ですね。2020年に菅義偉政権で日本学術会議の会員への任命を拒否された件についてもここに?

 「もちろんです。20年9月9日から使い始めたファイルを開ければ、関連するタグ付きカードがすぐ出てきます。例えば『h―index』というタグがあります。論文がどの程度引用されているか調べるツールのことですが、これを用いて任命拒否された学者6人の業績を調べたら計測不能なほどひどかった、と10月5日に書いたSNSの匿名アカウントがありました。その実名は11月9日の時点でつかんでいました。『反政府』というタグは、11月8日に共同通信が『官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否』という見出しで報じた一件などを記録してあります」

 「相手を調べる、絶対に誤解をしない、軽んじない、過大評価しておく。もし闘う時が来たら絶対に負けないところまで調べ尽くして、相手の退路を断っておくのです」

 「任命拒否関係の資料はつづら三つ分ほどになりました。『なぜ任命されなかったか』を拒否された側に尋ねる当時の報道の在り方は本末転倒で、本来は任命拒否という内閣総理大臣の判断を支えた根拠が、その意思決定過程をも示す文書とともに明らかにされなければならないのです。私が専門とする歴史学は、一定の時代に現れたり、つくられたりした制度や論理が、なぜその時代に現れたのかを問う学問です。任命を拒否された立場としての私には、任命拒否にあった理由を考える義理はありませんが、歴史学者としての私は、官邸がなぜ拒否を決断したのか大変に興味があります。だから記録と資料を残す」

 ――楽しんでいませんか。

 「歴史学者として得がたい経験をさせてもらっているとの高揚感はあります。政治過程論では、対立する相手方にレッテルを貼ることで自他の集団の利益が象徴的に表されるとされます。まさに今回、任命拒否された学者らを官邸側が『反政府』と位置づけた報道などに接し、現実が学問に重なる瞬間を味わいました」

 「並行して、どのような自己情報をもとに任命拒否にいたったのか、自己情報開示請求の手続きを進め、不服審査や答申など全ての手続きを踏んだ後、不開示とした処分の取り消しを求める原告の一人として今年2月、国を提訴しました。勝てると思っています」

 ――東大の教員としての任期も残りわずかですね。

 「私は日本近代史の中の女性を描いてきませんでした。存亡の危機感にかられつつ国民国家となった日本の近代を考察するため、外交と軍事を専門としてきたからです。ただ、フェミニズムやジェンダーの理論形成に寄与した人々を欧米のみに求めるのは間違いだと感じています。そこで、例えば日中戦争期以降の時期、新設されたり構成員が増えたりした市町村内の団体は女性団体だけだったことに注目し、大政翼賛会の地方支部における女性と政治をテーマにした新領域にも挑戦したいと考えています」

 「幼い頃から自分のことを『特別な任務を背負っている』人間だと気負って生きてきたせいか、過去の女性も同時代の他の女性たちをも、きちんと見てこなかった。野枝の随筆『階級的反感』は、銭湯で近所の女工たちに少し意地悪をされただけで縮こまってしまう自らの姿を描いていました。女工たちが見ている世界に入っていけない自分を責めた野枝でしたが、見てこなかったものに気付く時点から新しい関係は始まってゆくはずでした。若くして命を奪われた彼女にはその時間が許されなかったけれども。私も今、勉強しているところです」(聞き手 田中聡子、編集委員・高橋純子)

加藤陽子さん

 かとう・ようこ 1960年生まれ。東京大学教授。専門は日本近現代史。歴史学研究会委員長。著書に「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」など。

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    磯野真穂
    (東京工業大学教授=応用人類学)
    2024年8月1日12時4分 投稿
    【視点】

    > 「相手を調べる、絶対に誤解をしない、軽んじない、過大評価しておく。もし闘う時が来たら絶対に負けないところまで調べ尽くして、相手の退路を断っておくのです」 文字面だけ見ると怖い感じがしますが、「もしもの闘い」の局面において加藤さんのこの姿勢は肝だと感じます。 戦いを挑む人の中には、しばしば感情的な辛さばかりを吐露して、何に戦いを挑んでいるのかが不明瞭になってしまったり、必要以上に相手を攻撃したりして、逆に相手からカウンターを受けてしまう場合もあります。 精神的に辛い時に、相手の動き調べるというのはなかなかしんどく、ともすると、「相手のことは一切見ない」といった態度をとりがちです。しかし、「もしもの闘い」の際に理不尽な思いをしたくないのなら、(最近使ってはならない言葉になっているようですが)「頑張って」向き合うことが必要になるでしょう。 そして証拠を集めておくと、それが戦いに使われることがなかったとしても、それを持っているという事実が、自分を精神的に守ってくれます。 私自身も若手教員の際に、あまりにも酷いアカハラにあったり(こちら自分ではうまく戦えず、数年後にその教員は別件で懲戒免職)、話したこともない相手からある事・ない事を本に書かれたりしましたが(こちらはうまく立ち回れた)、その時に助けてくれたのは、否定しようのない証拠でした。 ところで「女性はどうせ就職できない」というのは、私の恩師も指導教員から散々言われたそうです。加藤さんのような研究者たちが作り出した道の上に、自分が立っていることを忘れたくないと改めて感じさせるインタビューでした。

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