「未来への責任」なぜ現代の我々が? 「ふわっと」じゃないその理由

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木村尚貴

 SDGsが市民権を得てきたいま、「未来世代への責任」という言葉が使われる。なぜ顔も分からぬ未来の人々に、私たちが責任を負わなくてはならないのか。この問いに対し、深い洞察を導いたのがドイツ出身の哲学者ハンス・ヨナス。日本でも近年、大学入試センター試験で彼の論考を用いた問題が出るなど、注目されてきている。その思想を哲学者の戸谷洋志(とやひろし)・関西外国語大准教授が解説する。

目の前で子供が泣いていたら

 伝統的な倫理学(いかによく生きるかを探る学問)は、当事者同士のコミュニケーションで合意を形成できるという前提に立っていましたが、ヨナスはコミュニケーションがとれない未来の他者をどのように考えるのか、という視点でまったく新しい倫理学を打ち立てました。テクノロジーを巡る現代の課題について、存在や生命といった根源的な問いにさかのぼって、解決策を構想する思想は「衝撃」とも称されました。

 ヨナスの考え方のベースには、生命はそれ自体で存在する価値があり、とりわけ子供は当為(「~すべし」という規範を意味する哲学用語)を元から強く持っているとします。それ自体で価値があるものを、彼は「善きもの」と呼んでいます。

 生命はそれ自体で価値がある善きもの。人類も生命ですから、それ自体で存在する価値があって、とりわけ子供をその基礎として考えています。

 目の前で子供が泣いていたら、私たちは面倒だったりコストがかかったりしても、理屈抜きに「助けないといけない」と思うのであり、そうしたはかなく弱い善きものに対する責任の感情を前提にしなければ、未来世代への責任は説明できないと考えたのです。

ヨナスが考える責任を、戸谷さんは「コール・アンド・レスポンス」で説明します。それが「未来世代に対する責任」にどうつながっていくのでしょうか。記事の後半では、乳飲み子のいる家庭を例にヨナスの思想を掘り下げていきます。

 注意すべきなのは、ヨナスが…

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