遺骨に墨で書かれた番号 京大に返還を求める、琉球王族の子孫の思い

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大滝哲彰
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 「同族」の遺骨を心地よい風が吹く山の墓に戻したい――。昭和初期、京都帝国大学(現京都大)の研究者が沖縄県の墓から持ち出した遺骨の返還を求めた訴訟の判決が22日、大阪高裁で言い渡される。

 返還を求めている原告は、1400年代に琉球を治めた王家「第一尚氏」の子孫ら。遺骨は、沖縄県今帰仁村(なきじんそん)の「百按司墓(むむじゃなばか)」にあったが、京都帝大医学部の研究者らが1929年、当時の県庁や県警の許可を得るなどして研究素材として持ち帰った。

 京大に保管されているのは、26体の遺骨。原告側は、遺骨との「対面」を求めたが、京大側は「研究目的とは言えない」などとして拒んできたという。

 高裁では、裁判所の提案で、遺骨の写真が原告側に開示された。原告の1人で、第一尚氏の子孫にあたる亀谷正子さん(79)は、その写真で遺骨を初めて見た。

 プラスチック製の保管箱には、遺骨の収集場所と標本番号を記した白いラベルが貼られていた。数体の頭骨には、標本番号と同じ数字が墨で、直接、書き込まれていた。

 「なんだこれは。まるで動物の骨のように扱われているではないか」。亀谷さんは衝撃を受け、涙が止まらなくなった。

裁判で示された管理態勢

 「人間の骨なんですよ。あまりにもひどい扱いじゃないですか」「自分の骨がそこにあるかのよう(な気持ち)でした。先祖の誇りと尊厳が踏みにじられるようで、子孫としては無念の思いでいっぱいになりました」

 裁判を通じて京大側が提出し…

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