死んだ後の世界に責任を負う 坂本龍一さんの覚悟 佐々木敦氏に聞く

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構成・定塚遼

 「世界のサカモト」「教授」――。メディアでよく語られるそんな枕詞(まくらことば)は、坂本龍一さんを考える上で、ときにミスリードになることもある。そして、ピアノで美しいメロディーを奏でる一般的な「世界のサカモト」のイメージは、実は彼が望んだ音楽の本質ではなかった。坂本さんと交流があった著述家の佐々木敦さんはそう分析します。一方で、反権威主義者だった坂本さんは、政治や社会活動においては、「世界のサカモト」という権威性を意図的に利用していったとも。彼の運動や音楽の本質にひそむものとは、何だったのか。佐々木さんに話を聞きました。

 「本当にこんな曲は何も考えなくても出てくるんです」。1990年代末、坂本龍一さんの「energy flow」が大ヒットしていたころ、彼は僕の取材にこう語っていた。「逆にそれがヒットしたり評価されたりすると、なんか変な気持ちになる」とも。

 「世界のサカモト」のイメージを形作ってきたのは「戦場のメリークリスマス」や「energy flow」での、ピアノを核とした、情感あふれるどこか日本的なメロディーにある。

 彼はそうした曲を求められればいくらでも作ることができた。でも、そこに本質を見いだしてはおらず、他のことをしたかったのだと思う。後年に傾倒していった自然音や環境音を取り込んだ音楽も含め、彼が続けたのは、強い好奇心を持って、音や音楽の根本的な成り立ちを解明していく試みだった。

 「教授」という愛称で親しまれた。でも僕は90年代~00年代まで幾度となく取材やプライベートで会ってきたが、この呼称は決して使わなかった。

「教授」という呼称 僕は決して使わなかった

 もちろん、彼の音楽的背景の…

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