松本零士先生は999で「責任」を果たした 島本和彦さんの感謝

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構成・黒田健朗

 「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」など数々のSF漫画・アニメを手がけ、社会現象を巻き起こした松本零士さんが亡くなった。なぜ当時の若者たちは、松本作品に引き込まれていったのか。大きな影響を受け、親交もあった漫画家の島本和彦さん(61)に熱く語ってもらった。

 しまもと・かずひこ 漫画家。1961年生まれ。代表作に「炎の転校生」「逆境ナイン」「吼(ほ)えろペン」など。現在、漫画誌「ゲッサン」(小学館)で80年代を描く自伝的作品「アオイホノオ」を連載中。

 松本零士先生の作品との初めての出会いは小学生のとき、週刊少年マガジンで連載されていた「男おいどん」でした。腹を抱えて、呼吸ができなくなるくらい笑ったのはこれが初めてだったんです。友だちの家に、マガジンを持っていって読み聞かせたほどでしたから。

 独特な擬音のほか、「死む」「不気味悪い」など、それまで聞いたこともないような言葉が魅力的でしたね。「大四畳半」「大パーチィ」など、あらゆる言葉に「大」をつけるのもおかしかった。

 ひしゃげたメガネの枠を直そうと火であぶったらセルロイドだったために焼けてしまい、どうしようもないから残ったタマ(レンズ)をテープで顔に直接貼り付けるシーンなど、今読むと切なさも感じます。ただ、松本先生が自分を投影し、切なさのぎりぎりのところを描いて笑わせている。私自身の作品への影響も大きいですね。

 その後「ワダチ」を経て、松本先生が関わり、漫画版も手がけたテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」に触れるわけです。

松本零士さんの作品への愛がほとばしる島本和彦さん。記事後半では松本メカのかっこよさや「銀河鉄道999」の解釈、「昔のオレ、やったぜ」と感じたという松本さんとのあるやりとりなどについて語っています。

 放送終了後、こちらはヤマト…

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この記事を書いた人
黒田健朗
経済部|総務省担当
専門・関心分野
漫画、アニメ、放送