第5回【アーカイブ】ひかり号同乗記(1964年10月1日夕刊)

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 “夢の超特急”はついに夢ではなくなった。東海道新幹線の“本番”第1号――「ひかり1号」(山本幸一、井月正司両運転士)は、1日午前6時、東京駅をすべるように離れ、515キロをわずか4時間で突っ走って同10時、予定通り新大阪駅に着いた。鉄道の“新時代”の幕あけにふさわしく、同列車はこの間、営業速度の世界新記録をきざんだ。気づかわれた事故もなく、乗りごこちはゆったりとさわやか。しかし、あまりの速さに、“旅情”を味わうゆとりもなかった。

 バンザイの声に送られて、「ひかり1号」は、はなばなしく東京駅をスタート。定員987人のところ、お客は730余人。明け切らぬ五輪の町並みをぬって、“あかつきの超特急”は一路西へ。1等車、両側に二人ずつのシートは、幅も奥行きもたっぷり。ちょうど国際線大型ジェット機のシートにそっくりだ。2等車のシートは、2人と3人ずつだが、どちらも十分なゆとりがあり、すわりごこちは上々。

 新横浜駅を過ぎ、小田原のモデル線区あたりにさしかかると、スピードはぐんとはね上がる。130、150、170……ついに営業速度の世界新記録だ。いままでの記録はフランスの「ミストラル号」、西独の「ラインゴルト号」のともに160キロだ。もちろん、試運転ではこの程度のスピードは珍しくない。しかし、営業速度では、文句なしに、「ひかり1号」が世界のトップにおどりでたわけ。

鉄道マニアいっぱい さわやかな乗り心地

 車内には、この日を待ちかねた鉄道マニアがいっぱい。素人の撮影機が目まぐるしくまわる。どうやら旅行の“必要”に迫られたお客は少ないようだ。

 「安全で快適で、私のように時間に追われる者には、ほんとうに結構よ」と歌のおばさん、安西愛子さんは手放しの喜びよう。「大阪で11時の結婚式に出られるんです。朝東京を発って」と、ある主婦は素朴な喜びをかみしめる。

 “三冠王キップ”といわれる1号車1番A席を手に入れた横浜市日本旅行会会員増井昭さんは「ナンバー・ワンを集めるのが趣味なんですよ。もちろんビュッフェの領収書も“1番”を取りましたよ」と得意顔。

 早朝出発列車とあってビュッフェは満員。初めてイス席が設けられたが、ウイスキー、ランチなどお値段の方は、スピード並みの上がりようだと、こぼすお客もいた。

 あっという間にスピードは数十キロあがるが、それほどのスピード感はハダに感じない。窓からみて電柱の流れが「早くなったな」と気づく程度だ。

 窓ガラスが大きいので、景色がひときわすがすがしく、新鮮にうつる。沿道には、たえ間なく歓迎の人たちの笑顔が連なり、子どもたちの手がちぎれるようにふられる。目をうるませて帽子をかざす国鉄職員……。7時56分、豊橋付近で上り1号列車とすれちがう。流星のような、一瞬のできごと。

 8時27分、最初の停車駅、名古屋へすべりこむ。そして大阪へ。またたく間の4時間。現代感覚にマッチしたスピード感。が、もう「汽笛一声……」といった旅情は影をひそめたようだ。鉄道の近代化が、旅をドライなものに変えてしまうのか。(表記の一部を現代の基準に直しました)

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