「初めは売れないと…」 ファミコンの父が生前に語った、夢の先取り
井東礁
「ファミコンの父」と呼ばれた元任天堂開発第二部長の上村雅之さんが6日に亡くなりました。生前、朝日新聞とアエラの取材に対して語っていた開発責任者としての思いを振り返ります。
ファミリーコンピュータの発売は1983年7月。上村さんを中心に任天堂がテレビゲーム機の開発に取りかかったのは、その約2年前だったそうです。当時は、「ゲームウオッチ」に代表される電卓ほどの大きさの大規模集積回路(LSI)ゲーム機が全盛でした。
「ブームになるのが急であればあるほど、熱がさめるのも早い商品です。LSIゲームはいずれ売れなくなると読んで、次の商品の開発にかかりました」(85年7月15日朝刊)
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それまでのおもちゃは使い捨…