宮古島先史の人々「北側の沖縄諸島から」 「南から」説を覆す 

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 宮古島市にある「南嶺の長墓遺跡」の先史時代の人骨をDNA分析したところ「100%縄文人」だったことが、マックス・プランク人類史科学研究所(ドイツ)や県内研究者などの学際的チームの研究で分かった。従来、先史時代の先島の人々は台湾やフィリピンなどの南方に由来するとされてきた(南方説)が、北側の沖縄諸島から来たことを示す研究成果。先史時代の先島は奄美・沖縄諸島と接点がないとされてきた説も覆す。英科学誌ネイチャーに掲載され、日本時間11日に発表された。

 同研究所のマーク・ハドソン氏が長墓遺跡で発掘した先史時代(先島では約4千~千年前)と近世(17~19世紀)の人骨を分析した。近世の人骨は現代沖縄人とほぼ同じ約20%の縄文DNAを持つが、先史時代は100%だった。先史時代の宮古島では縄文文化を示す土器などは確認されていないが、縄文ゲノムが存在したことは大きな発見だとしている。

 今回の学際的研究では日本語や韓国語、モンゴル語などの「トランスユーラシア言語」の起源は新石器時代の中国・西遼河地域の農耕民までさかのぼり、農耕民の移動により言語と農耕が拡散したことを示した。

 また、言語学や考古学の観点を合わせると、中世(グスク時代、11~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島に移住してきたことが推定できるという。

 共同研究者の高宮広土鹿児島大教授は「結果として、琉球方言の元となる言語を有した農耕民が本土から植民した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と解説した。

 研究に協力した宮古島市教育委員会の久貝弥嗣氏は「DNAを使って人の移動を分析したのは貴重。通説は南との関係性が考えられていたので、インパクトがある。DNAと遺跡から出ている資料をリンクさせて研究する必要がある」と話した。

 研究チームは先史時代の八重山の人々がどこから来たのかは今後の分析が必要だとしている。久貝氏は「宮古、八重山、沖縄の人骨などの資料を総合的に調べていけば、琉球列島全体の人の移動が見えてくるのではないか」と話した。(沖縄タイムス)…

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