邦さんにひそかに渡した五郎のテーマ 倉本聰さん寄稿
3月24日、老衰のため88歳で亡くなった俳優の田中邦衛さん。国民的テレビドラマ「北の国から」では、21年にわたって主人公の黒板五郎を演じてきた。「北の国から」の脚本家、倉本聰さんが朝日新聞に追悼文を寄せた。
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邦さんが逝った。
心のどこかに大きな穴がぽっかりあいてしまったような、いやその穴は既にもうここ数年の無数の会話で殆(ほとん)ど埋まってしまっているような。そんな気もする。
会話といっても実際に交わした会話ではない。ここ数年逢(あ)いたくても逢えなかった。無理を云(い)ったら逢えたかもしれないが、それはすべきでないと自制した。代わりに奥さんとの電話の連絡で、彼の今過ごしている静かで平安な日々を乱すべきでないとじっと我慢した。奥さんの言葉を通してだったが、彼が今棲(す)む小さな世界で、まわりから愛されまわりを明るく笑わせているという情報にホッと安堵(あんど)し、心を休めた。どこにあろうと邦さんは邦さん。人に微笑(ほほえ)みとやさしさをもたらす真似(まね)の出来ない存在であることを確認させてくれ心暖まった。
彼ほど純粋で真面目で無垢(むく)で、家族を愛した男を知らない。いや家族だけではない周囲全てをだ。彼はあたかも僧籍にいる人のようだった。更にもう少し彼を困らせてしまうつもりなら、敢(あ)えて“珍妙な天使”だったと云いたい。然(しか)り邦さんは決して完ぺきな聖人君子ではなかったかもしれないが、彼の育った昭和という時代の、いつくしみ、思いやり、倫理道徳の中で、それをかたくなに貫いて生きた絶滅珍種の漢(おとこ)だった気がする。
「北の国から」というドラマ…