鳥取)鳥取城跡中ノ御門下から桶 戦国時代以前の便所か

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宮城奈々
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 発掘調査が進む鳥取城跡(鳥取市)で、再建を目指している中ノ御門(なかのごもん)表門の礎石の下から上部が焼け落ちた埋桶(うめおけ)が見つかった。市教委によると、戦国時代末期に便所の便槽として使われていたものとみられる。鳥取城跡の堀の内側で戦国時代以前とみられる大規模な遺構が見つかるのは初めてで、担当者は「鳥取城の成り立ちを知る上で重要な発見」と話している。

 市教委文化財課によると、見つかった桶は、直径160センチ、深さ80センチ。地面を掘って設置されており、周りは幅8~17センチの52枚の板で囲われていた。桶の内部は焼けた炭や土で埋まり、中からは16世紀ごろのものとみられる陶磁器のかけらが見つかった。一番下の堆積(たいせき)物にはウリのような植物の種や魚の小骨のようなものも含まれていた。板の先端部分は焼け落ちており、1580(天正8)年の羽柴秀吉による最初の鳥取城攻めか、1600(慶長5)年の亀井茲矩(これのり)による城下焼き打ちにより上部が焼失したものであると考えられるという。

 同様の桶は他の地域でも見つかっており、堆積物の分析などによって便所として使われていたと考えられている。桶の大きさから、屋敷の中の共同便所のように使われていた可能性があるという。鳥取城跡周辺は城ができる以前のまちの姿について詳しいことがわかっていないといい、同課の坂田邦彦・文化財専門員(42)は「堀の内側に城下町が広がっていた可能性もあり、鳥取城の成り立ちを知る上で重要な発見」と話している。

 今回の調査は、今年度中の再…

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