福角元伸

スポーツ部
専門・関心分野プロ野球、高校野球、大リーグ、ゴルフ、大相撲

現在の仕事・担当

日本野球機構(NPB)を担当しています。プロ野球全般を軸に大リーグや高校野球、年に数回、ゴルフの現場にも取材に行かせてもらっています。

バックグラウンド

石川県金沢市出身で星稜高校野球部の29期生でした。山下智茂監督(現在の智将監督のお父さん)から厳しくも愛情ある指導を受け、2学年上にはソフトバンクホークスの村松有人打撃コーチ、同期には大リーグなどで活躍した松井秀喜さんがいました。大阪産業大学でも硬式野球部に所属。スポーツ紙を経て現職。巨人、西武、阪神などの担当記者も歴任。

仕事で大切にしていること

人と人のつながりを大切に。会う、聞く、話す。

タイムライン

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巨人の3、4番が激戦セ・リーグに終止符 「鬼門」でともに4安打

 (28日、プロ野球 読売ジャイアンツ8―1広島東洋カープ)  4球団が小差でひしめき争ってきた、今季のセ・リーグ。その激戦に終止符を打ったのは、巨人の3、4番だった。  同点の六回先頭。吉川はファウルで粘り、この試合3安打目となる左前打で出塁した。続く岡本和は、外角へ逃げる変化球をしぶとく両腕を伸ばして捉え、左中間への勝ち越し適時二塁打に。広島先発の森下暢仁を3巡目で攻略した。  ダメ押し点もこの2人。七回1死二塁からも連打で得点につなげた。ともに4安打の大暴れで、4年ぶりのリーグ優勝を決定づける働きだった。  「結果的にああいう形で塁に出られて良かった」と3得点の吉川が振り返れば、「いい形で後ろにつなぐ気持ち」で打席に入ったという3打点の岡本和。ここまで、ともに今季は141試合に先発出場し、巨人打線を背負ってきたと言っていい。  苦しめられてきた「鬼門」での胴上げ。巨人はマツダスタジアムでの今季最終戦に勝利し、この球場で11年ぶりの勝ち越し。シーズンを戦ううえで、苦手球場の克服は大きい。嫌なイメージを持たない新しい主軸が増えてきた証しでもある。  接戦のペナントレースを勝ち抜いた選手たちをねぎらうように、阿部慎之助監督は目頭を熱くし、「苦しい(苦しんだ)チームが勝つというのはこういうことだなと実感できました」。  その辛苦をともに乗り越えた仲間たちの手で、現役時代の背番号と同じ10度、宙に舞った。

巨人の3、4番が激戦セ・リーグに終止符 「鬼門」でともに4安打

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ストから20年。今も語り継がれるプロ野球12球団が揺らいだ危機

 20年前のきょう、スタジアムから球音が消えた。  2004年9月18、19日、プロ野球の歴史で初めてのストライキが決行されたのだ。  球界再編問題に揺れたこの年。2リーグ12球団を守ろうとした労働組合日本プロ野球選手会の苦渋の決断だった。  日本プロ野球選手会の森忠仁事務局長にとっても、20年前の球界再編騒動は忘れられない出来事だ。近鉄の礒部公一選手会長が「自分たちよりも、無職になるかもしれない裏方さんの心配をしていたのが印象的でした」と話す。  いま、選手会は毎年1、2月に12球団の新人選手へ向けた説明会を行う。必ず球界再編の内容を盛り込み、「12球団維持の経緯や、もし10球団や8球団になっていたら、NPBに入れなかった選手もいたかもしれない」などと説明している。  現在も選手会は様々な問題についてNPBや12球団との交渉を続ける。  森事務局長は「選手会は選手たちのもの。選手たちが変えようと思わないと何も変わらない。我々はそれをサポートさせてもらう立場ですから」と強調する。  「今の新入団選手は現行制度が当たり前。でも、これは先輩たちが何年も交渉して得てきた権利ですから。今の選手たちも将来の後輩選手のためにという思いで活動してくれています」と、森事務局長。  12月には選手会会長だった古田敦也さんや礒部さん、現役選手らも交えて「球界再編20年」をテーマにした一般公開のシンポジウムを行う予定だ。 ■古田さんのYouTubeでも球界再編を振り返る  古田敦也さんのユーチューブ公式チャンネル「フルタの方程式」でも、20年前の球界再編問題を3回にわたり配信している。  消滅した近鉄の最後の監督となった梨田昌孝さんや選手会長を務めた礒部公一さんらをゲストに迎え、当事者のみが知る裏話を語り合った。  様々な立場から球界再編の大きな渦へと巻き込まれていく様子を赤裸々に告白している。チャンネルのURLはhttps://www.youtube.com/@furuta-houteishiki

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史上初のプロ野球ストライキから20年 古田敦也さんが語る決断秘話

 20年前のきょう、労働組合日本プロ野球選手会は、プロ野球70年の歴史で初めてストライキを行うことを決め、翌18、19日に決行した。球界再編騒動に揺れたこの年。一部球団オーナーの主導で「1リーグ制」への動きが起きる中、選手や関係者の雇用を守り、2リーグ12球団を維持するための苦渋の決断だった。ヤクルト捕手で選手会会長だった古田敦也氏(59)に当時の思いと、今の球界をどう見るかを聞いた。(文中の肩書は当時のもの)  ――2004年6月、近鉄とオリックスの合併が報じられた。  新聞報道で知りました。近鉄の経営が危ないみたいな話はその数年前からなんとなく、うわさで聞いていましたけれど、普通は身売りですよね。合併ってどういうことって話になった。球団数が減るわけで、これは大変なことだなと思いました。  ――すぐに行動を起こした。  選手会としてNPB(日本野球機構)に説明を求めましたが、すぐに応じてくれなかった記憶があります。これは経営側の話で、選手には関係ないって感じでね。1リーグで10球団だとか、8球団だとか、すぐに騒ぎになりましたよね。こちらとしてはせめて1年間くらいは合併を凍結して、買い手を探してくれと要望しました。唐突に「合併です」「決まっているから」と言われてもさすがに納得できない。ファンに説明もないし。  その後、ライブドアが近鉄の買収に手をあげたこともあって、徐々に新規参入を認めてもらう要求もしていきました。  ――同社の堀江貴文社長の登場は心強かった。  買収に手をあげる動きがあることは、事前に知らなかったので驚きましたよ。メディアは堀江さんのキャラに食いつきましたよね。選手会としても「買い手があるじゃないですか、何で審査しないんですか」っていう主張もしていきました。交渉のカードができた。それに堀江さんの登場のおかげで、再編問題がワイドショーで取り上げられるようになり、なんか野球界がもめているけれど、若い、ちょっと変わった感じの新しい人が出てきたと、お茶の間の皆さんが関心を持ったというのは大きかった。今みたいにSNSが発達していれば、ファンの声は間違いなく我々にも、球団側にも直接届いていたと思うけれど、当時はファンの皆さんの声をあげてもらう方法としてはアナログ的な署名活動だった。  ――阪神の野崎勝義球団社長(当時)が1リーグ制や球団削減に反対の声をあげた。  ありがたかったですね。球団幹部と交渉している時も「この中に消滅するかもしれない球団があるんですよ。何で皆さん賛成なんですか」っていう話もしていた。当時は巨人と一緒にやれば放映権でもうかるという考え方。もっと球団独自で収入を上げる策を考えるのが筋だということは言ってきたわけです。大きなうねりに球団幹部の皆さんも乗っかって、ちょっと言い方は悪いけれど、ちゃんと理解せずに賛成だけしている方もいらっしゃったと思いますよ。  ――7月7日のオーナー会議では西武の堤義明オーナーが「もうひとつの合併が進んでいる」と発言した。  堤さんの発言がある前に、僕の耳にはそういう情報が入っていました。驚いたというよりは、いよいよそういう10球団、1リーグに向かって確実に動いているんだなと思いました。「1リーグ8球団を目指す」とか言っている球団の人もいましたからね。球団が減れば確実にマーケットはしぼむ。当時も、よく言っていたんですが、ディズニーランドがずっと繁栄しているのは、次々に新しいアトラクションを考えてやっているからじゃないですか。もうからないからといって縮小したら、もっと縮まりますよ、ということです。  ――その翌日には巨人の渡辺恒雄オーナーの「たかが選手」発言があった。  記者のぶら下がり取材で、「球団オーナーの方々と話してみたいですか?」というような質問に、「はい」と答えただけなんですが。それがどういう伝わり方をしたのか。個人的に腹が立ったことはあんまりなかったけれど、僕よりもファンの人たちが怒りの声をあげてくれた。  ――流れが変わった。  実を言うと、その瞬間にすごい追い風が吹いたという感じではなかった。難題が山積みで。ただ、我々選手会の応援団は増えたでしょう。ファンが自発的に「たかが」発言も含めて、この問題について考えようというきっかけにはなった。12球団が維持できるんだったら、そうした方がいいんじゃないかというムードも高まった。  ――ストライキを意識したのはいつごろからか。  基本的には、ストライキはしちゃいけないと思っていました。(1994年から95年にかけて)大リーグでストライキがあって、野球ファンが離れたという現実があるから。ただ、ストライキは労働組合の権利なんで、当時の連合の笹森清会長からは「我々も注目していますから、頑張ってください」みたいなことを言われて、背筋がピンとなった記憶があります。  ――9月10日にいったんストライキ延期を決定。団体交渉の相手の瀬戸山隆三・ロッテ代表が握手を求めたが応じなかった。  その時の会議では、球団を減らすにあたって、何かシミュレーションした数字的なものはないのかと要求したんですよ。お客さんが増えるとか、球団の売り上げがあがるとか、我々を説得するための数字はないんですか、と。先方は「発展するために今、縮小するんだ」というようなことを主張していましたが、意味分かります? 「1週間後に数字を出す」と言われたので、スト延期を決めたんです。  ――その後の会見で古田さんが「近鉄の存続が焦点」と発言すると、NPB側は「合併の白紙はない」と食い違いが生じた。  シミュレーションした数字を見ないと分からないから「存続が焦点」という発言になったと思うんですが、次の交渉の時に「近鉄が残る可能性なんかゼロだ。なんだあの会見は」とめっちゃ言われました。その瞬間に、これはストライキだなと思いました。最終的には、新規参入について「来季から」「最大限の努力」という言葉が(NPB側との)合意文書に入らなかったことが妥結できなかった原因でした。  ――9月18、19日にストライキを決行した。  ストライキ決行後の交渉では、席についた瞬間から球団側の雰囲気がみんな変わっていましたから。あれはもう、「何が起きたの」っていうくらい。にこにこムードで始まりましたよ。「やっぱり12球団あった方がいいよね」と言った球団側の人もいました。(各球団)上層部の指令が180度変わったんでしょうね。  ――ストライキの威力といえる。  基本的にはファンの方々がたくさん声を上げてくださったおかげで、相手も心変わりしたんだと思います。僕らもストライキは最終手段ですよ。それまでも何とか一生懸命に伝えようとしたことが最後に伝わったんじゃないですかね。まあ、楽天の参入も同時進行であったから、「お前たちがそんなに言うなら、審査しましょう」って言われて。でも、次の年からセ6球団、パ6球団っていう確証はなかった。もう一回ストライキを打つという考えはなかったけれど。楽天の参入が正式に決まった時ですよ、安心したのは。  ――この年、交渉を重ねながら打率3割6厘、24本塁打と活躍した。  集中力が高まっていた。この騒動で成績を落としたくない、っていうのはすごくありました。とにかく毎日腹が立っていましたね。それが活力だった。意地でも成績を残してやろうという。  ――20年が経った。  あの頃は後に検証した時に、球団をなくさなくてよかったという結果になればいいなと思っていたんですけれど。誰がやったとかではなくて、その時に声をあげてくれたファンがいて、ほぼ1リーグで決まっていたことをみんなで覆すことができた。あの騒動があって、球団はファンサービスなどいろいろ努力するようになったと思います。僕もね、いち野球ファンとしてずっと野球が繁栄してくれたらいいなと思っています。 ■古田さんが語る球界の将来 「あと4球団増えても」  ――球界再編以降のプロ野球界をどう見るか。  ファンサービスが大きく変わったと思います。12球団が維持されて楽天が東北、日本ハムは北海道、ソフトバンクが九州と、プロ野球が全国に広がり定着しました。各地域で、ファンを呼ぶ工夫がなされた。(IT系の)楽天、ソフトバンク、DeNAという企業が入ってきたのも大きかった。携帯電話が普及し始め、スマートフォンへと移行していった時期と重なる。インターネットと距離が近い人たちが、球界に新しいアイデアを持ち込んだ。  ――観客動員数も新型コロナ流行期を除けば、増加傾向が続く。  野球だけを見せるのではなく、派手なイベントをやったり、色んなグッズを売ったりしてね。チケット購入も簡単になったし、情報発信も積極的になった。今はどこの球場にもファンが入る。お客さんを呼んで、リピーターをどう作るかという各球団の経営努力が我々の時代とは全然違う。  ――パ・リーグ6球団の合同出資会社「パシフィックリーグマーケティング株式会社」設立も大きな動きだった。  スマートフォンで試合のダイジェストなどが見られるパ・リーグTVが好評みたいですね。動画も本来はセ・パ両リーグで統一できればファンも喜ぶし、球界としてもいいのに。セ・リーグは放映権など既得権益の問題があるんでしょうね。  球界全体で収益を上げて、分配できるシステムが必要です。自分たちだけが潤っても、相手がいないと試合にならない。「経営ができなくなりましたから、辞めます」という球団が出てきたら、また大騒動になる。リーグ運営を底上げしないと、結局は球界の不利益につながってしまう。  ――プロ野球はNPBよりも12球団の権限が強い。  プロ野球の最高決定機関はオーナー会議ですが、もう少し運営サイドのNPBに権限を持たせて欲しい。スポンサーや放映権、ネット配信などを統括して、リーグマネジメントしないと。大リーグはそうやってビジネス面で繁栄し、マーケットを倍にしてきた。90年の歴史があるプロ野球が、昔と同じことをやっていては無理がでてくる。  ――プロ野球の球団拡張(エクスパンション)をどう考えるか。  賛成派です。今でもプロ野球は地方で開催している。ファンのニーズと開催できる施設があるということ。日本の人口は減少して、都市部の一極集中は強まる傾向です。だからこそ、全国の中核都市の皆さんに頑張ってもらわなければならない。そこのエンターテインメントとして、プロ野球球団があってもいい。  サッカーのJリーグやバスケットボールのBリーグは全国に球団がある。野球も独立リーグやクラブチームも実際にプロ野球球団のない空白地域に数多く存在する。そこを受け皿にし、NPBを目指している選手もいますから。なぜ、プロ野球だけ増やさないのかと思う。  ――具体的には。  あと4カ所ぐらい増えても問題ない。16球団ならセ・パ両リーグで8球団ずつ分けて、そこから4球団ずつになれば地区制も成立する。チームが身近になってファン熱も高まるだろうし、球団も移動距離が減ってコスト削減にもなると思う。  ――プロ野球選手の質を下げるという懸念もある。  長年野球を見てきましたが、環境を与えればレベルは上がります。プロでも育成契約から1軍レベルにまで実力を伸ばした選手は何人もいる。アマチュアの全体的な野球の人口は減っていますが、トップに位置する選手たちの実力は格段に上がっていますから。  ――ここ数年はプロ入り後、すぐに活躍する選手も増えた。  特にピッチャーは球速が上がり、変化球も増えましたね。体格も変わった。どういう食生活、トレーニングをしたらフィジカルが高まるかなど、情報があふれる時代。それをうまく取り入れて、技術につなげている選手が出てきています。  ――最後にプロ野球選手会元会長として思うことは。  会長で7年、副会長も含め10年以上、選手の地位向上に関わる交渉の場に入らせてもらった。フリーエージェント(FA)の制度改革や代理人交渉の導入などを年月をかけて認めてもらってきた。我々の先人からの積み重ねもありましたし、今も受け継がれています。  最近、選手会に入らない選手がいるとも聞きます。決めるのは自由でしょう。ただ、個人的な意見ですが、選手会が得た権利は入会している選手が享受できるものだと思う。そうしないと不公平感が出る。恩恵だけを受けるのはおかしい。  ――現在、選手会はFA権取得期間の短縮など保留制度改革を訴えている。  選手の移籍を活発にさせるということですね。FA権取得期間ももう少し短くてもいい。現状だとFA市場に出てくる選手が少なく、好選手だけの奪い合いのようになっている。選択肢の多い方が選手にも球団側にもメリットになるのでは。とりあえず「この先4年はこのルールで行きましょう」などと、年限を決めてやればいい。見直しながら、制度を固めていけばいいじゃないですか。

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