加藤秀彬

スポーツ部
専門・関心分野陸上、サッカー、海外スポーツ

現在の仕事・担当

パリ五輪では国際オリンピック委員会(IOC)、海外選手、バレーボールを取材します。

バックグラウンド

仙台→高知総局を経て、東京スポーツ部。学生時代から陸上競技のハードルが趣味。今も休日は競技場とジムに通っています。

仕事で大切にしていること

今活躍しているアスリートだけではなく、逆境から立ち上がろうとしている選手や、あきらめが悪い選手。多様な価値観をもってスポーツにかかわる人たちの思いを伝えたいです。

タイムライン

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県庁で働こうと思ったが…無名からヤクルト1位、愛知工大の中村優斗

(24日、プロ野球ドラフト会議)  24日にあったプロ野球ドラフト会議で、ヤクルトから1位指名を受けた愛知工大の中村優斗投手は、ほんの少しほおを緩めた。  「(顔に)出さないようにしていたけど、内心はうれしかった」  無名だった長崎・諫早農高時代、プロ野球は「ほど遠い夢」だった。  コロナ禍だった高校3年の長崎独自大会は初戦敗退。高校では農業土木科で、卒業後は県庁で働こうと思っていた。  その決断に待ったをかけたのが、愛知工大の平井光親監督だ。元ロッテで首位打者経験もある平井監督の目には、光るものがあった。  「高校生の中ではレベルが違う」  就職を希望する中村を説得するため、何度も長崎に通った。中村も、やりきれていない自分の思いに気づいた。  「まだ、成長できるかもしれない」  高校で手をつけていないウェートトレーニングに力を入れた。頭角を現したのは大学3年の春。150キロ超の速球に加え、鋭く落ちるフォークやスライダー。3季連続で、リーグ最多奪三振のタイトルを獲得した。  今年3月には、日本代表「侍ジャパン」の強化試合に「飛び級」で選出された。  周囲はプロばかり。国際大会どころか、全国大会も初めてだった。気にかけてくれたのが、ヤクルトの村上宗隆だ。  3学年上のスラッガーは、「緊張していない?」ときさくに声をかけてくれた。張り詰めていた緊張から、気が楽になった。  「村上選手はベンチで誰よりも声を出していた。人間性も素晴らしかった」  強化試合では、欧州代表を相手に1回無失点。プロでも戦える、と自信がついた。  最終学年の秋は調子を崩すこともあったが、大学最終戦で初の160キロをマーク。夢の夢だったプロ野球は、いつしか現実味を帯びていた。  1位指名の喜びは格別だ。「自分のように可能性がなかった人間でも、プロに指名していただけると示せてよかった」  ドラフト会議の中継は、チームメートも大学で見守った。中村が指名を受けると、本人より先にその仲間たちが涙した。  指名を受け、頭によぎったことは。  そんな質問に、中村は迷わず仲間との日々を挙げた。  「同級生たちと一緒に4年間トレーニングしてきて、頑張ってきた姿が浮かびました」  名前の由来は、言葉通り、「優しい人」。  周囲に愛される人柄も、この右腕の魅力だ。

2日前
県庁で働こうと思ったが…無名からヤクルト1位、愛知工大の中村優斗

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苦難続いた順大、追い打ちかけたトラブル 1秒差制した箱根への戦略

 第101回箱根駅伝の予選会が19日、東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地から昭和記念公園までのハーフマラソン(21・0975キロ)コースに43校が参加し、1位の立大など10校が本大会出場を決めた。各校上位10選手の合計タイムで争った。  2位に前回予選18位で本大会出場を逃した専大が入った。日本選手トップで個人10位だった吉田礼志の中央学院大が5位、個人1位のシャドラック・キップケメイの日大は7位。4位の日体大は初出場から77年連続で本大会に進出。予選通過ラインの10位順大と11位東農大の差はわずか1秒だった。  来年1月2、3日に開かれる101回大会は前回大会10位までのシード校(青学大、駒大、城西大、東洋大、国学院大、法大、早大、創価大、帝京大、大東大)と、オープン参加の関東学生連合を合わせた計21チームが参加する。 ■順大が抱えた「継承」への課題  予選通過のアナウンスが流れると、順大の選手は腕を突き上げ、涙した。ハーフマラソン10人の合計タイムで、出場圏外の11位とわずか1秒差。自信を失いかけていた名門が、通過ラインの10位に滑り込んだ。  レース前のプランは「守りを固める」。今年1月の箱根駅伝は17位で、6月の全日本大学駅伝関東地区選考会も17位に沈んだ。長門俊介監督は攻めたレースで勝つ力はないと判断し、現実路線にかじを切った。  出走した12人のうち、自由に走ったのは2人だけ。他の10人は2組に分かれた。余裕を持ったタイム設定で声を掛け合い、遅れる選手を最小限に抑えようと考えた。  狙い通り、とはいかなかった。気温23度でスタート。日差しも強い過酷なコンディション。タイムを稼ぐはずの選手が遅れ、集団もばらけた。  15キロ地点の合計タイムは12位だった。それでも、「最後まで1秒を削りだそうと話し合ってきた」とチームトップの浅井皓貴(4年)。前半を抑えた分、後半でボーダーラインの他大学より余力があった。  2022年の本大会で準優勝した後、順大の成績は下降した。実力者がそろう学年が抜け、今春には男子3000メートル障害の日本記録保持者、三浦龍司(現SUBARU)も卒業した。長門監督は「あの時の雰囲気をうまく継承できなかった」。  今年6月には、名誉総監督が練習で「給水不要」と指示したり、複数の体調不良者が出たりするトラブルもあった。名誉総監督は退任した。  混乱のさなか、頼りになったのが初代「山の神」だ。3年連続で箱根5区の区間賞をとった今井正人コーチ(40)が今年4月に就任。勝者のメンタリティーをアドバイスしてきた。  14年連続出場へのプレッシャーは、何とか乗り越えた。「下克上」を掲げるチームに、箱根路で失うものはない。

6日前
苦難続いた順大、追い打ちかけたトラブル 1秒差制した箱根への戦略
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