夫婦で受け取った新戸籍 トランス男性は人生を阻んだ「壁」と闘った
「2人で一緒に裁判所に来てください」
8月30日、家裁から一本の電話があった。
もしかしたら、願いがかなうかもしれない――。東日本に住むアルバイトのトランスジェンダー男性(戸籍上は女性)は、期待を膨らませ、その日を待った。
2023年3月、公務員のトランスジェンダー女性(戸籍上は男性)と結婚した。性自認と戸籍上の性別が「逆転」した状態の夫婦だったため、24年5月27日、それぞれ家裁に性別変更を申し立てていた。
性同一性障害特例法には、性別変更の際に結婚していないことを求める「非婚要件」がある。この要件を機械的にあてはめれば、いったん離婚して性別変更後に再婚するか、結婚を続けて性別変更をあきらめるかを選ばなければならない。
だが、2人は婚姻関係を続けながら性別変更を行う「第3の道」をめざした。背景には、特例法のあり方を問い続けてきた当事者たちの存在があった。
■ケーキで祝った夜
家裁は電話をした日、2人の審理を併合し、同時に結論を出すと決めていた。その5日後の9月4日。2人に手渡された5枚の審判書には、こうあった。
「性別の取り扱いを、男から女に、女から男に、変更する」
結婚したまま性別変更を認める、極めて異例の司法判断だった。
2人はその日の夜、ケーキを食べて祝った。
「これでやっと、カミングアウト(名乗り出ること)を迫られる状況から自由になれる」
そんな開放感に浸った。
トランス男性はこれまで、生活実態と戸籍上の性別がずれている不自由さに悩まされ続けてきた。それは、人生を阻む高い壁のようなものだった。
■「漠然とした人生の不一致感」
幼い頃から、「漠然とした人生の不一致感」を抱えてきた。その原因が性別にあると自覚したのは、大学時代だった。
ちょうど、LGBTQ(性的少数者)に関するニュースが増えていた。外見など性的な特徴を変えていくための医療があることや、戸籍上の性別を変更する法制度についても知った。
体の特徴を男性に近づけるため、在学中からホルモン剤の投与を始めた。半年の間に声が低くなり、筋肉がつきやすくなった。周囲からも徐々に男性とみなされるようになり、「人生の不一致感」は薄まっていった。
だが、戸籍上の性別を男性に変えるには、壁があった。性別変更の際、生殖能力の喪失を求める特例法の「生殖不能要件」だ。卵巣を摘出する手術が必要となるが、金銭的な負担も大きく、見送っていた。
たとえ男性として生活していても、戸籍上は女性。生活実態と戸籍がずれているせいで、望まないカミングアウトを何度も強いられてきた。
■付きまとう「生活実態と戸籍のずれ」
最初の壁は就職だった。
大学卒業後、女性として生きてきた過去を断ち切るため、あえて見知らぬ土地で職を探した。だが、住民票などから戸籍上の性別は分かってしまう。やむをえず、社長に「性同一性障害です」と告げ、男性としての就職をかなえた。
だが、すぐに次の壁がそびえ立った。「社内で暴露されたらどうしよう」という恐怖心だ。
戸籍上の性別を知っているのは社長1人だけ。知り合ったばかりで、深い信頼関係があるわけではない。もし他の人に知られたら、断ち切ったはずの過去が、また追いかけてくる。
当時は、周囲から男性とみなされる自信もなかった。「社長に『生殺与奪』の権限を握られているようなものだった」
そんな頃、SNSを通して出会ったのが、現在のパートナーだ。メッセージのやり取りを重ね、実際に会うようになった。トランス同士でなければ分からない困難を共有できるし、何より一緒に話していると「心地よかった」。
すぐに会える距離に引っ越すため転職し、またカミングアウトを強いられた。ほどなくして会社が倒産。ハローワークに通った。書類の性別欄では、男性にマルをつける。だが、実際に就職となれば再び、戸籍とのずれを説明しなければならない。
病院でも、海外旅行でも、公的な身分証明が求められる場面では、戸籍とのずれが付きまとう。男性としての生活が定着するにつれ、現状への違和感は募った。
■差した光「一緒に闘っているような気がする」
「わたしの扶養に入る?」
不意にプロポーズを受け、結婚を決めた。非婚要件の存在は知っていた。卵巣の摘出手術を受けていなかったため、性別変更はかなわないと半ば諦めていた。
そんな矢先、ニュースが飛び込んできた。
生殖不能要件は違憲――。最高裁は23年10月、西日本に住むトランス女性の訴えを認めた。この要件は無効となり、手術なしでの性別変更へ道が開かれた。
「特例法のおかしさがあらわになった。自分たちもトランスジェンダーの家族のありようを制約している非婚要件のおかしさを問いたい」と司法の扉をたたいた。
家裁は9月4日付の審判で、非婚要件の前提には、夫婦の一方が性別を変更すると、現行法では認められていない「同性婚の状態」が生じ、異性婚しか認めていない現在の「婚姻秩序」に混乱を生じさせかねないことへの配慮があるとした。そのうえで、2人の場合、同時に性別変更の審判をすれば、同性婚の状態が生じる可能性はないと指摘。たとえ非婚要件を欠いていても、性別変更を認めるのが相当と判断した。
結論としては満額回答だった。「これで再就職しやすくなる」「戸籍とのずれを説明しなくてもよくなる」。ともに変更が認められたパートナーと喜んだ。
ただ、「もっと踏み込んでほしかった」との思いも残った。家裁が、非婚要件そのものに問題があると言及したわけではなかったからだ。
夫婦のうち、片方だけが性別変更を申し立てた場合、非婚要件を理由に認められない可能性は高い。当事者たちは、離婚して性別変更するか、結婚を続けて変更を永久に断念するかという過酷な二者択一を迫られる。
京都家裁では現在、結婚後に女性として暮らすようになったトランス女性が、性別変更を申し立てている。非婚要件は「離婚を強制しており違憲・無効」などと訴え、結婚したまま性別変更を認めるよう求めている。
「一緒に闘っているような気がする」
10月9日、夫婦で地元の役所を訪れ、ともに性別が変更された新たな戸籍を受け取った。
特例法は04年に施行され、五つの要件が「高すぎる壁」として批判されてきた。付則には、3年後をめどに見直しを検討するとの趣旨も記されたが、20年たっても本格的な改正は実現していない。