今村建二

水俣支局長 | 水俣病・環境担当
専門・関心分野地方政治、環境

現在の仕事・担当

水俣病を現地の視点から取材。公式確認から約70年になりながら、いまだ救済に至らないのはなぜか、解決を阻むものはなにか、高齢化が進む患者はなにに苦しんでいるのか、地域で暮らし肌で感じながら、考えています。
水俣支局管内には2020年熊本豪雨で50人が亡くなった球磨川が流れる人吉球磨地域もあります。国は、一度は中止した川辺川ダムを復活させようとしていますが、被害の実態とのずれを感じます。地域の復興に本当に必要なものはなにかを探るのも重要な仕事の一つです。

バックグラウンド

2022年に水俣に赴任しても、熊本大学法学部出身です、とはしばらく公言しませんでした。「水俣病裁判に詳しい」と思われたくなかったから。イロハは学びましたが、今、振り返っても不勉強な日々でした。でも23年に「水俣病判決50年」を取材したのを機にカミングアウト、30年ぶりに再会した「本物の水俣病裁判のプロ」である恩師のもとに通い、学び直しています。
初任地の長崎では、後に「動き出したら止まらない無駄な公共事業の象徴」とされる諫早湾干拓事業に出会いました。まだ世間の注目はさほど高くありませんでしたが、取材を始めると数々の問題点に気づきました。後の記者人生で「公共事業と政治」を取材の軸に据える点で、大きな影響を与えました。
学生時代に少しですが水俣病を学び、記者人生を諫早湾干拓で始め、その後、各地の地方政治の現場を取材し、水俣の現場にたどり着いた今、「国はしばしば判断を誤る」「地域の実態にあわないことを国は進めようとする」ということが今も昔も繰り返されていることを痛感します。そうした実態をこれからも報じていきたいと思います

仕事で大切にしていること

諫早湾干拓事業の取材を始めたとき、すでに半世紀の紆余曲折を経てようやくゴール(完成)が見え始めたころでした。役人だけでなくベテラン記者からも「なにをいまさら」と冷ややかな目で見られました。そのたびに「いまさらでなく、いまこそ」と反論しました。これは、その後の私の取材の基本姿勢になりました。駆け出し記者でも重要な取材を自由にさせてくれた先輩・上司との出会いがなければできなかったことだと思います。綱領にうたわれている「常に寛容」で「清新にして重厚の風をたっとぶ」朝日新聞の社風があればこそ、と思います。

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