今泉奏

ヨハネスブルク支局長 | サハラ以南アフリカ担当
専門・関心分野アフリカ、植民地主義、グローバルサウス

現在の仕事・担当

アフリカ大陸が取材のフィールドです。国際社会では欧米が絶対的な力を失いつつあるなか、アフリカを含む「グローバルサウス」と呼ばれる勢力が台頭してきています。発言力を増すアフリカの人たちが、何を考え、求めているのか、その思考回路を探る日々です。一方、未開拓市場が残されたアフリカ大陸は、世界市場の「フロンティア」でもあります。中国や韓国の電化製品が席巻するなか、なぜメイド・イン・ジャパンが苦戦しているのか。アフリカを通して見えてくる日本の課題についても考えています。

バックグラウンド

被爆三世として長崎で生まれ育ちました。原爆という理不尽さを、長崎の人たちはどう受け止め、生き抜いてきたのか。幼い頃から、戦争と平和について考える機会がありました。
少年時代に、アフリカに関心を持ち始めてからは、図書館にあるアフリカ関係の本を片っ端から読みあさりました。
大学では、スワヒリ語を専攻し、アフリカの文化や社会、歴史など幅広く学びました。1年間休学し、アフリカ約30カ国を各国の歴史の教科書を集めながら陸路で旅しました。大学院では、日本アフリカ関係史を研究。日本の戦前の右翼たちがアフリカをどうみていたのかについてひもときました。
2017年に入社。北海道報道センター、千葉総局を経て、21年から経済部で経済産業省や復興庁、民間企業を担当しました。23年9月にヨハネスブルク支局に赴任。直後の10月には、パレスチナ自治区ガザでの戦闘が始まりました。アフリカ報道の現場に加え、イスラエルやヨルダン川西岸での取材を続けています。

仕事で大切にしていること

日本で暮らす多くの人にとって、アフリカは心理的にも地理的にも、遠いと言わざるを得ません。だからこそ、アフリカについて知ろうとする営みは「究極の他者理解」とも言えます。この難題に挑戦するのが、アフリカ報道のだいご味です。
日本のアフリカ報道が本格的に始まってから半世紀あまり、積み重ねてきた歴史ほど、アフリカへの理解が広まっているとは言いがたい状況です。アフリカで何千、何万人が亡くなっても「遠い国の話だ」と言われることすらあります。もちろん、メディアの責任も大いにあります。
朝日新聞の「記者行動基準」には、「記者は、報道を通じて人種、民族、性別、信条、社会的立場による差別や偏見などの人権侵害をなくすために努力する」という一節があります。人種も民族も異なるアフリカで生きる人たちにも思いをはせる。そんな営みができるような記事を書きたいと思っています。

タイムライン

記事を書きました

「娘を出せ」脅す少年兵 富狙う中東諸国の「代理戦争」と住民の分断

 アフリカ北東部スーダンでは、昨年4月から国軍と準軍事組織「即応支援部隊」(RSF)による戦闘が続く。独立以降、暴力を繰り返してきた国はいま、中東諸国の「代理戦争」の舞台にもなり、住民の分断も深まっている。  「なぜ、世界からスーダンは取り残されてしまったのか」  港町ポートスーダンの避難民キャンプに、6人の家族と身を寄せるアリ・イブラヒムさん(65)は、そう嘆いた。  一家は5月、RSFの攻撃が続く南部の都市から、国軍側が支配するポートスーダンへと避難してきた。少年兵たちに「家も車も渡さなければ娘を連れて行く」と脅され、避難を決めた。 ■立ち上がる民衆、向けられた銃口  軍事衝突は何度も経験したが、自分が避難民となるのは初めてだった。イブラヒムさんは「何度も国が混乱し、民衆がいつも犠牲になってきた。我々は困難を乗り越えてきたが、今回はこれまでで最悪だ」と嘆く。  1956年に独立したスーダンでは、軍事クーデターが繰り返された。不安定な軍事政権が、日本の約5倍(2011年の南スーダンの分離独立前は約6.6倍)の国土を統治するのは困難で、アラブ系が中心の中央政府と、黒人系の抵抗勢力との戦闘も続いてきた。  2003年から始まったダルフール紛争では、陸軍出身のバシル大統領(当時)が軍の主流派と同じアラブ系の民兵組織を利用し、ダルフール地方などを拠点とする黒人系勢力を弾圧。約30万人が犠牲になり、「世界最悪の人道危機」と呼ばれた。  バシル氏は13年、この民兵組織を「RSF」として合法化し、今度は首都で民主化デモ隊の弾圧に利用した。19年にバシル氏が失脚してからも、国軍とRSFの協力関係は続いていた。  だが、民政移管に向けて両者の統合を迫られるなか、国軍のブルハン将軍と、RSFのダガロ司令官による主導権争いが起き、昨年4月の武力衝突に至った。アラブ系どうしの争いとなる一方で、略奪や性暴力を伴うRSFによる黒人系住民への攻撃も続いている。 ■ビジネスも手がけるRSF  市民の分断も深刻になっている。首都ハルツームからポートスーダンに避難してきたモハメド・アッバスさん(34)は「地元にはRSFの協力者も大勢いた」と話す。RSFは、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」のように、軍事だけではなく、幅広くビジネスも手がけてきた。商売の都合上、RSFとの関係を築く人たちも一定数いたとみられる。  「家族によっては、父親が国軍で、息子がRSFに所属することだって珍しくはなかった。経済的に苦しい状況が続き、金が必要だからとRSF側につく人たちもいた」  本来、スーダンは食物に恵まれた国だ。南部や西部、ナイル川沿いには豊かな農業地帯が広がる。ポートスーダンは紅海沿いの天然の良港で、中東諸国に作物を輸出する拠点となる。果実や野菜に加え、生産量世界一のゴマを輸出している。  港町から内陸へ300キロほど車を走らせると、露天掘りの採掘場が見えてくる。「金を掘っているんだ」。現地を案内してくれた男性が、そう告げた。紛争中でも、多くの若者が集まり、石を砕く。ここはアフリカ有数の金の生産地だ。 ■国軍側にはイラン、RSF側にはUAE  金や原油などの資源、港の利権、そして農業地帯もある。スーダンの「豊かさ」に目をつける中東諸国は、国軍とRSFの両陣営の背後で影をちらつかせている。  国軍の主要な支援国は、イランだ。ロイター通信は、スーダンとイランの両当局の関係者の話として、国軍がイラン製のドローン(無人機)を使っていると報じた。伝統的に結びつきが強い北の隣国エジプトも国軍側を支援する。  RSF側には、アラブ首長国連邦(UAE)がつく。もともと、RSFはイエメンへの派兵の見返りにUAEから武器支援を受けるなど、良好な関係を築いてきた。金の採掘ビジネスも手がけるRSFにとって、UAEは取引先でもあった。  実際に両陣営が代理勢力としての色を濃くしたのは、昨年4月の戦闘開始後だ。戦闘が長期化するなかで、代理国からの武器や資金の支援が報告されるようになった。  ハルツームからポートスーダンに来た避難民たちは、口々に「RSFには隣国のリビアや中央アフリカから来た戦闘員がいた」と証言した。外国人の戦闘員と、地元の協力者が混在しており、アッバスさんは「誰が敵か味方かわからない。近所どうしが殺人に関わり合っているような状況だ」と語る。 ■邦人退避後、拠点を移した日本大使館  スーダンには昨年4月時点で援助関係者ら約60人の邦人がいたが、武力衝突が始まった直後、ほとんどが退避した。在スーダンの日本大使館やJICA(国際協力機構)現地事務所は、臨時でカイロに拠点を移した。現場での活動が困難になるなか、遠隔で農業や水道インフラなどの支援を継続。停戦後の復興に向けた支援についても議論を始めている。  しかし、停戦は遠い。今年8月には、米国やサウジアラビア、アフリカ連合(AU)などが仲介する停戦協議が開かれたが、RSFのみが参加。ロイターによると、国軍はRSFが人道支援を妨害し、戦闘を続けているなどと批判し、交渉に応じなかった。  国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)スーダン事務所のアブバカル・ジャロー副所長は「人道支援に加え、停戦に向けた中東諸国や米国などのさらなる働きかけが重要だ。『忘れられた紛争』にしないため、世界の影響力のある指導者たちに、本気で目を向けさせなければならない」と訴えた。

1日前
「娘を出せ」脅す少年兵 富狙う中東諸国の「代理戦争」と住民の分断

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スーダン中部で124人殺害、国軍の対立組織が村襲撃 過去最大規模

 スーダン中部ジャジーラ州で25日、国軍と対立する準軍事組織「即応支援部隊」(RSF)が村を襲い、少なくとも124人が死亡した。ロイター通信が26日、地元の民主化運動組織の発表をもとに伝えた。昨年4月に紛争が始まって以降、攻撃が相次ぐ同州で最大規模の被害とみられる。  民間の監視団体「スーダン戦争モニター」によると、国軍は9月末以降、攻勢を強めている。首都ハルツームやジャジーラ州で、RSF側が支配していた地域を奪還。10月20日には、ジャジーラ州のRSFのトップが国軍側に投降し、その後RSFによる民間人への襲撃が激しさを増した。  ロイターによると、地元住民は、RSFが民間人を殺害し、家屋を略奪した結果、数十万人が避難を強いられている、と明かした。トム・ペリエロ米スーダン特使は25日、SNSで「殺害と性的暴力は決して許されない」と訴えた。  国連などによると、1年半以上にわたる紛争で、2万~15万人以上が犠牲になった。国内避難民と国外に逃れた難民は計1300万人を超える。国民の半数を超える2560万人が飢餓の危機にある。一方、ウクライナや中東での戦争に注目が集まるなか、国際社会の関心は薄く、「忘れられた紛争」とも呼ばれている。

1日前
スーダン中部で124人殺害、国軍の対立組織が村襲撃 過去最大規模

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「世界最悪の飢餓危機」と医療崩壊 前線だけでないスーダンの惨状

 やせ細った赤ん坊たちの泣き声がこだまする。気温は40度を超え、顔にハエが止まっても、追い払う気力もない。  9月上旬、アフリカ北東部スーダンの港町ポートスーダン。国連世界食糧計画(WFP)の診療所に設けられた栄養センターに、栄養診断を受ける母子が集まった。1300人以上の母親とその子どもたちが通っている。  「自分はどうなってもいい。でも、この子だけは救いたいんです」。昨年4月に戦闘が始まった直後に生まれたアフメド・アミンちゃんを抱える母親のウィグダン・アラーさん(27)は、そう訴えた。戦闘が続く首都ハルツームから、1週間前に逃げてきた。 ■「世界最悪の飢餓危機」 農業地帯も戦場に  首都があるハルツーム州では、食料価格が高騰している。世界銀行によると、主食の穀物ソルガムの価格が、戦闘開始から1年半で3・8倍になった。  アラーさんは「多くの人は戦争で金を稼ぐ手段がなくなった。金がなければ、1日に1食も食べられない」と声を落とした。避難先のポートスーダンでも食料価格が高騰し、十分な食料が得られない。  WFPによると、スーダンでは人口約5千万人の半数を超える2560万人が深刻な飢餓に直面し、「世界最悪の飢餓危機」となっている。  背景には、首都周辺や南部など、国民の食料を支える農業地帯が戦場となり、生産力が極端に低下したことがある。治安の悪化で輸送が困難になり、国内外からの援助物資を届けることもままならない。  子どもたちの栄養状態は深刻だ。腕の太さを測る診療所での検査では、栄養失調が疑われる基準の約11.5センチに満たない子どもが後を絶たず、ほとんどが危機的な水準という。  国連やNGO、研究者などで構成する飢饉(ききん)調査委員会(FRC)は7月下旬、西部ダルフールの避難民キャンプで、飢餓指標の5段階で最も深刻な「飢饉」に陥っていると発表した。  FRCが、飢饉の認定をしたのは2017年の南スーダン以来、7年ぶりだ。20年前に設立されて以来、11年のソマリアと過去2度しか例がなかった。現在では、スーダン各地で75万人以上が飢饉に直面している。  ポートスーダンを視察に訪れたWFPのカール・スコウ副事務局長は、朝日新聞の取材に「すでに一部では飢饉が発生しているが、さらに1千万人が飢饉の一歩手前の状態にある。食料をめぐる人道状況は本当に悲惨だ」と強い危機感を語った。 ■障害抱え生まれた子 生後1年間、診療できず  人道危機は飢餓だけではなく、医療の崩壊も深刻だ。世界保健機関(WHO)によると、支援が届きにくい首都やダルフールなどでは医療施設の2~3割しか稼働しておらず、それらも最低限の機能しか果たしていない。  国境なき医師団(MSF)は、たびたび病院や医療スタッフ、患者への攻撃を報告している。最も激しい戦闘が続くダルフールの中心都市エルファシルでは、今年5~7月だけで、三つの病院が計8回の攻撃を受け、計8人が死亡した。  南東部から2カ月前にポートスーダンに避難してきたイスラム・カラルさん(25)は、生まれつき左足が曲がった障害をもつ娘のサイダ・エサムちゃん(1)を抱いて診療所を訪れた。  「地元では、家の近くでも戦闘があり、即応支援部隊(RSF)の戦闘員たちが略奪を繰り返していた。その戦闘員たちを狙う国軍の空爆は、私たちの頭上にも降ってきて、ほとんどの病院が破壊されてしまった」  そして、こう続けた。「地元では病院に行けず、この子は生まれて初めて病院で診てもらえることになった。薬を買うお金はないけれど、まずはここに来られてよかった」  診療所のミナス・ムーサ医師は「避難民が増えているのに、医薬品は以前より届かない。感染症も広がり、子どもを中心に避難先でも命の危機が高まっている」と話した。

2日前
「世界最悪の飢餓危機」と医療崩壊 前線だけでないスーダンの惨状
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