岡崎明子

編集委員 | セグメント編集長
専門・関心分野医療、生きづらさ、ジェンダー、働き方

現在の仕事・担当

30~50代の女性が感じる生きづらさを中心に取材しています。私も含めこの世代はライフイベントが重なり、その都度、選択を求められます。そしてどちらの道を選んでも、「本当にそれでよかったのか」と考えがちです。その背景には、社会が求める「規範」と、自分が選んだ道との「ずれ」があるのではないでしょうか。自分の生き方が肯定できるような記事を、さまざまな角度から追いかけています。

バックグラウンド

広島支局を振りだしに、松本、長野支局で新聞記者としての基礎を学びました。広島はいまでも第二の故郷です。以降は科学医療関連の取材が長く、連載「患者を生きる」の創設メンバーの1人です。初回のフィギュアスケーター、井上怜奈さんの肺がん闘病記を担当しました。2020~24年までは医療サイト「朝日新聞アピタル」編集長を務め、「発達障害」「医師の働き方」を始め、さまざまな企画を手がけました。ハラスメントを始め、研究者の生きづらさを描いた「『リケジョ』がなくなる日」もデスクとして担当してきました。このほか、GLOBE編集部、特別報道部、オピニオン編集部を経験し、特別報道部時代は「加計学園」問題のチーム取材が17年日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受賞しました。

仕事で大切にしていること

「冷静な思考と温かい心」(Cool Head but Warm Heart)という言葉が好きです。いずれも新聞記者には欠かせない要素だと思っています。

著作

  • 『発達「障害」でなくなる日』(朝日新聞出版、2023年)=共著
  • 『解剖 加計学園問題 〈政〉の変質を問う』(岩波書店、2018年)=共著
  • 『乳がんはなぜ見落とされたのか―「余命半年」の私にできること』(朝日新聞出版、2004年)=共著

タイムライン

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中学受験で子を追いつめる親 心理士が指南、親子関係壊さない学び方

 中学受験に挑戦する親子は年々増えているが、過酷な受験勉強をきっかけに、親子関係が壊れてしまう例も少なくない。親のイライラや不安を子どもにぶつけないためには何が必要なのか。信州大学准教授で、子どもの発達を専門とする臨床心理士、高橋史さんに聞いた。  ――私自身も中学受験を控える子どもの親ですが、たとえば子どもがテストでケアレスミスを繰り返すと「問題文の条件に線を引いた?」「答えを書いた後、確認した?」と詰めてしまい、反省することの繰り返しです。  わかっているのに出来ない――。これがケアレスミスですよね。多くの子は解答した後に本当にあっているのかを無意識にチェックしているのですが、ミスが多い子はそこを飛ばして次の問題にいってしまうわけです。そこを親が何度叱っても、ミスはなくなりません。「チェックをする」という行動をいかに習慣化するかが大切な目標になってきます。  ――どうすればいいのでしょう。  チェックを呼びかけてくれる存在を、自分の「中」と「外」につくります。たとえば、漢字を書くときに、いつも「はね」を忘れてしまうとします。そのとき、頭の中だけで気をつけようとするのは、チェック機能が自分の「中」だけなので、おそらく効果的ではありません。  「はね」と声に出しながら一画ずつ書いたり、あらかじめチェックリストを用意したりする方法が「外」にもつくるやり方です。  でも、いくらチェックしてもミスは出るものです。 ■脳の発達度合い 受験生でも大きな差  実際、自分がやった行動を振り返り、見通しをもって動くことが明確に出来始めるのは思春期ごろだという説もあります。おおむね12歳ごろから、「思春期スパート」という脳の大きな変化が起きます。  ――初めて聞く言葉です。  脳には灰白質という、色んな処理ができるパソコンのメモリーのような領域があり、思春期にはこの灰白質が急激に増えます。脳の発達には個人差があり、小学4年生ぐらいでも大人顔負けの言語能力がある子もいれば、高校生ぐらいになって急激に伸びる子もいます。中学受験のころは、その差はかなり大きい時期かもしれません。  ――精神年齢の差、ということだと思いますが、精神年齢が低い子を高くすることはできないのでしょうか。  脳の発達、つまりチェック機能の「中」の力を人為的に早めることはなかなかできません。思春期スパートの時期には、いわゆる「脳の刈り込み」が起きます。つまり、今までよく使ってきた部分を強化して、使わなかった部分を捨てようとする取捨選択が起こります。 ■親として譲れないポイント  そういう意味で、この時期にはむしろ、自分に合った勉強の仕方を模索することが非常に大切です。  ――つまりこの時期、どういう学び方をすればいいのでしょう。  家庭によって色々な事情があると思いますが、どの家庭にも共通して一番譲れないポイントは、「世界は敵ではない」という感覚を子どもに持ってもらうことですね。  ――「世界は敵ではない」ですか?  困ったときに「外」の力を上手に取り入れられるようになることがとても大切です。「外」の力には、解決に向けて一緒に動いてくれる身近な人の存在も含まれます。  それなのに、常に人から裏切られるとか、他人は自分のダメなところを指摘するばかりで信じられないという感覚を持ってしまうと、勉強や課題に向かうにしても「やってもどうせ無駄」という感覚が身に付いてしまいます。  そうなると、いかにいいやり方があっても、それを使うエネルギーが無くなってしまう。新しいことにチャレンジできなくなってしまうのです。  ――では親は何をすればいいのでしょう。  言うはやすしですが、どの家庭にも共通するのは、親が常に子どもの味方であり続けることです。中学受験というイベントがあったからこそ、親子で色んなやり取りも、一緒に何かを乗り越えていくという体験もできた、課題もそこそこ楽しくできたとなって欲しいと思っています。  「せっかくならわが子を合格させたい」という親の思いもあるでしょうが、そのせいで親子関係が壊れてしまうことは本当に避けたいです。 ■子どもの味方であり続けるために  ――頭ではわかっているのですが、わが子だからこそ難しい部分が……。  そうですね。そして、こういう「わかっちゃいるけど、なかなかね」ということって、大人でも子どもでもたくさんありますよね。つまり、お互いに共感できる。これこそが、子どもの味方であり続けるためのポイントです。  たとえば、子どもが「明日は朝6時半に起きて勉強するぞ」と言ったのに、起きられなかった場合。本人としては、前日の夜は本気で言っているんですが、親としては「何で昨日、早く寝なかったの」とつい小言を言いたくなりますよね。  でも親だって、早く寝なくてはと思いつつ、深夜までドラマを見てしまうこともある。この「わかっちゃいるけど、なかなかね」という体験を出発点にして子どもを見始めると、「ほら見たことか」と子どもの失敗をとがめたり、正論と理詰めで子どもを追い詰めたりしてしまうのを防ぎやすくなると思います。  親は子どもの味方であり続けながら、子どもは自分自身にとってやりやすい学習方法を身につけていく。中学受験という「共通の敵」に向かって、親子で自分自身の取り扱い説明書をつくっていくという感じですかね。  ――中学受験は「敵」ですか。  共通の敵がいると結束が強くなりやすいですよね。そこで、中学受験が大変だという状況を逆手にとって、親は自分の敵ではなく、味方であると感じる瞬間を増やす機会にしてほしいです。  子どもにとっても、中学受験は大きなハードルですし、試験当日に至っては自分の「中」の力が試される日です。そんな大変な時期だからこそ、親という身近な「外」の力が常に味方でいてくれると感じられるかどうかが重要になってきます。  基本的に保護者の役割は、自分が何かしてあげるというより、子どもがいざという時に第三者に助けを求めようと思えるかどうか。その土台をつくっていくことだと思います。中学受験を通じてそれが造れれば、その子の一生の財産となるはずです。         ◇  ご意見や体験をdkh@asahi.comまでお寄せください。      ◇ たかはし・ふみと 日本行動療法学会認定行動療法士。JICAP(一社 青少年のための心理療法研究所)代表理事。

中学受験で子を追いつめる親 心理士が指南、親子関係壊さない学び方

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「親の奴隷化」も影響、子から親への暴力が急増 逃げるは恥じゃない

 10月2日は国連が定めた「国際非暴力デー」ですが、子どもから親への暴力事件が増えています。警察庁のまとめによると、子どもが加害者となる事件は年間約4700件に達し、過去30年間で約6倍に急増しました。一方、公認心理師・臨床心理士の信田さよ子さんは「被害に遭っている親が相談できる場がほとんどない」と指摘します。なぜこのような状況が生まれているのか、その背景について信田さんに聞きました。  ――家庭内暴力といえば、夫婦間のDVや、子どもが虐待されるケースが思い浮かびます。  1980年代までは、家庭内暴力は「子どもから親への暴力」を指していました。その頃、児童精神医学の国際大会が日本であり、私も参加したのですが、日本人の演題はこの件ばかり。外国人の司会者が「日本に配偶者からの暴力はないのか」と尋ねると「そうです」と答える姿を目の当たりにしました。  当時、親に暴力をふるう子どもは精神科病院に入院させられることが多く、DVや児童虐待という言葉も広まっていませんでした。  日本では夫が妻を殴っても「妻が悪い」とされていたし、子どもへの暴力はしつけやせっかんの一つ。反対に、子どもが親を殴ることは権力構造に対する反逆なので、「暴力」とされて問題視されたのです。当時は校内暴力とともに、注目を集めていました。  でもそれが、いつのまにか見えなくなり、今は家庭内暴力と言えば、おもに配偶者へのDVを指しますし、親から子への暴力(児童虐待)のほうが注目されるようになりました。その転機は90年代でした。 ■今も存在しない「親への暴力防止法」  ――何があったのでしょうか。  バブル崩壊に伴い、孫請けの町工場が密集しているような地域で子どもが夜間救急で運ばれる事件が急増したのです。明らかに虐待された子どもたちを治療した小児科医たちは、「親の元に返してはいけない」と考えて、民間の虐待防止団体を立ち上げる動きが生まれました。  虐待的環境で育って成人したひとたちが、自らを名乗る言葉である「アダルト・チルドレン」が、90年代後半に一気に広まりました。諸外国で虐待対策が叫ばれるようになり、日本でも2000年に児童虐待防止法が成立しました。  ――配偶者間の暴力は?  95年に北京で開かれた世界女性会議をきっかけに、DVという言葉が日本にも入ってきました。フェミニズム運動の成果もあり、01年にはDV防止法ができました。DVを日本語に訳すなら家庭内暴力だろうということで、このころから「家庭内暴力」という言葉が持つ意味合いが変わったのです。  法律ができたことで、DVも児童虐待も社会的認知度が広がり、相談センターを始め支援態勢が整備されました。しかし子どもから親への暴力を防止する法律は、現在も存在しません。 ■支援がビジネスに 「引き出し屋」の暗躍  そのことで、困った親たちを対象とする「支援ビジネス」が多数生まれ、ネット上で宣伝するようになりました。ひきこもる子や、親に暴力をふるう子をだまして連れ出し、ビルの一室に閉じ込める、精神科病院に入院させる、薬をのませておとなしくさせるといった、いわゆる「引き出し屋」が暗躍しました。  カウンセラーとして、「一歩間違ったら、この人、子どもを殺しているな」とか「子どもに殺されているな」と思う事例は少なくありません。  ――子どもはなぜ親に暴力をふるうのでしょう?  それは、暴力に訴える以外どうしようもない状況にあるからです。その怒りはすべて親に集中します。自分がこんなに惨めなのは、親が自分を産んだからだ、生まれてよかったと思ったことは一度もない、こうなった責任は親にある、賠償しろ……などと親を責め続けます。年数が過ぎるほどに、同じ言葉が繰り返され、親を責めて暴力をふるうことが習慣化していきます。  警察庁の報告では親に暴力をふるう子どもが増えていますが、ゲーム依存の影響も大きいと思います。親がゲーム機やスマホを無理やり取り上げる、パソコンの電源を強制的に切るといった行為に及ぶと、親への激しい暴力に訴えるしかなくなります。  また中学受験など、親から「医者になれ」「一流大学に入れ」と教育虐待を受けて育った子どもたちが、最終的には親への暴力という形で復讐(ふくしゅう)し家族に君臨するパターンも多いのではないかと思っています。  私が担当していたクライアントの中にも、暴力をふるう子どもから逃げた親が何人もいます。車中泊して避難したり、最終的には子どもには秘密にして部屋を借りたりする例もあります。日中こっそり自宅にもどり、ご飯をつくってまた車中泊に戻るという親も少なくありません。 ■元農水事務次官による息子殺傷事件  ――親は「逃げる」ことしかできないのでしょうか。  「親が逃げる」ことで、いったん子どもの暴力が下火になることもあります。しかしながら、その後の対応も含めて相談・援助に乗れる場所は少ないのが現状です。最後は警察に駆け込むしかないのです。  5年前、農林水産省の事務次官だった父親が息子を殺した事件がありました。父親は息子から暴力を受けていましたが、誰にも相談せず、一人で抱え込んでいたといいます。あの事件をきっかけに、子どもの暴力から親が逃げられるような仕組みができないかと期待しましたが、残念ながらそうはなりませんでした。  ――なぜ誰にも相談できないのですか。  家庭がどんどん密室化する中、子どもへの虐待だけでなく、親への暴力も見えにくくなっています。それに、「子どもに殴られた」というのは、「子どもをうまく育てられなかった」というスティグマと背中合わせですから、なかなか表に出すことはできません。「私は子ども暴力の被害者です」と堂々と言える状況にはないのです。  何でも子どもの言いなりになったり、やってはいけないことをはっきり「やめなさい」と言えなかったりする親が増えていることも背景にはあると思います。私はこれを「親の奴隷化」と呼んでいますが、家族の権力構造が逆転しているわけです。札幌・すすきので、娘の殺人の幇助(ほうじょ)や隠蔽(いんぺい)をしたとされる事件もその一例ではないかと推察します。  こうしたゆがんだ関係をいったん断ち切るには、やはり親が逃げるしかない。だからこそ、逃げた親が相談できる窓口の設置や、介入や支援が受けられる民間のカウンセリング機関などが必要だと思います。       ◇  のぶた・さよこ 1946年生まれ。DV、虐待などの問題に取り組み、95年に原宿カウンセリングセンターを設立。2022年から日本公認心理師協会会長。著書に「アダルト・チルドレン」「家族と国家は共謀する」など。 またはdkh@asahi.comまでメールでお寄せください。

「親の奴隷化」も影響、子から親への暴力が急増 逃げるは恥じゃない

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発達障害のわが子 親亡き後「一人では生きていけない」をなくすには

■記者コラム 「多事奏論」 編集委員・岡崎明子  忘れたころに、ふと連絡をくれるありがたい取材先の一人に、精神科医の加藤進昌(のぶまさ)さん(77)がいる。加藤さんは昭和大学付属烏山病院の元院長で、2008年に日本初の「大人の発達障害外来」を作ったことでも知られる。  発達障害は生まれつきの脳の特性だから大人になって突然、発症するわけではない。社会に出て「人間関係がうまくいかない」「仕事のミスを繰り返す」といった困り事に直面し、気づく人が多い。  その加藤さんが、再び「日本初」に挑んでいるという。理事長を務めている晴和病院を建て替え、知的障害がない自閉スペクトラム症(ASD)の人が親亡き後、自立するための拠点にするという。  ASDの人の親亡き後問題――。大事なことだと思うが、加藤さんに話を聞いても、正直ピンと来なかった。顔に「はてなマーク」が出ているのを見かねたのか、烏山病院で当初からデイケアを実践してきた精神保健福祉士の五十嵐美紀さんを紹介してくれた。  五十嵐さんや臨床心理士の横井英樹さんによると、デイケアの参加者には50~60代の人もおり、高齢化した親の病気や死をきっかけに、生活が破綻(はたん)してしまうことも少なくないという。  高学歴で働いていても、身の回りの世話や精神的ケアを親に依存しているASDの人は少なくない。将来を見通すことや周囲に助けを求めるのが苦手、といった特性もある。そのため、親が亡くなった途端、食事が満足に取れなくなったり、ひきこもったりするリスクも高いという。  親の方も、何とか就職したわが子が仕事に専念できるようにと過保護になりがちだ。これが、さらに子どもの自立を妨げる悪循環につながっているという。 ■自立促進プログラム開発、新病院の仕掛けとは  何とかせねばと悶々(もんもん)としてきた五十嵐さんらは、「親亡き後」の心づもりや、家事やお金の管理など実践的スキルを学ぶ自立促進プログラムを開発した。  9月に開かれた学会では、プログラムに参加した25人は、参加しなかった25人に比べ、困ったときに誰かに相談する社会スキルや、家事を始めとする自立スキルが上がったことをデータで示した。  実は加藤さんも「親亡き後」を心配する親の一人だ。42歳になる娘さんはASDで、大学を卒業後はほとんど働かず、親と同居してきたという。「社会的なつながりがあまりないので、おそらく一人では生きていけないでしょうね」  10年以上にわたるつきあいの中で、初めて聞いた告白だった。ぼそっと語った一言に、胸をつかれた。  晴和病院は東京・新宿のど真ん中にある。医療と福祉と生活の融合を目指し、最長2年間住める自立訓練室や終身暮らせる有料障害者ホーム、法律相談室や畑までそろえた。カフェや小ホールなど地域とつながれる仕掛けも用意した。  発達障害者支援法が成立したのは20年前。この間、当事者への療育や就労支援態勢は広がったが、その先の支援は乏しい。周囲とつながれば自立して暮らせる人を支援しないのは、残念すぎる。  発達障害に限らず在宅障害者の親亡き後問題は長年、指摘されてきた。それなのに社会の関心が低いのは、私も含めて人ごと感があるからではないか。そもそも身近に困っている人がいても、その実態を知らなければ、行動を起こせない。  都心に親亡き後の拠点が誕生することは、課題の見える化の第一歩だ。精神科医として、親として。加藤さんの思いが詰まった病院は来春、完成する。

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