ユネスコ100年、現地大使「グローバリズム疲れの世界、増す役割」
今年は1924年に国際連盟が国際知的協力機関(国際連合教育科学文化機関〈ユネスコ〉の前身)の設立を決めてから100年にあたります。教育や科学、文化面の協力を通じ、世界の平和に貢献してきたユネスコが今、様々な課題に直面しています。ユネスコ日本政府代表部の加納雄大・大使は「ポスト冷戦時代の終わりが、ユネスコの果たす役割にも影響を与えている」と語ります。
――ユネスコには米国もパレスチナも加盟しています。
パレスチナは2011年、ユネスコに加盟しました。これに反発した米国とイスラエルが脱退しましたが、米国は昨年夏に復帰しています。パレスチナ自治区ガザでの人道危機には、ユネスコも子供のメンタルヘルスケア支援や文化財保護に取り組んでいます。
ユネスコには、コンセンサスによる意思決定を重視し、各国の立場が対立する問題でもギリギリまで妥協を模索する伝統があります。
今年3月のユネスコ執行委員会で採択されたガザ情勢に関する決議でも、米国、パレスチナ、アラブ諸国が水面下で調整を続け、最終的に米国は、自ら参加しませんでしたが、コンセンサスには反対しませんでした。
――ウクライナ情勢を巡るユネスコの取り組みはどうでしょうか。
教育や文化財保護、ジャーナリストの安全など、軍事・経済支援とは異なる、独自の支援を行っています。ただ、ロシアを厳しく批判する欧米諸国や日本と、「ロシアを非難しながら、イスラエルを支援するのはダブルスタンダード(二重基準)だ」と考えるグローバルサウス諸国との間で温度差があります。
■「戦争は人の心に生まれる」アトリー英首相の言葉
――ユネスコ憲章前文の「戦争は人の心に生まれる」はアトリー英首相(当時)の演説に由来するそうですね。
来年はユネスコ憲章採択から80年です。1945年11月にロンドンで開催されたユネスコ設立会合におけるアトリー首相の演説の言葉が、憲章前文の有名な一節「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」に採り入れられたと言われています。
残念ながら、現状はその理想に程遠い状況と言わざるを得ません。ルールに基づく国際秩序が期待されたポスト冷戦時代は終わったとの指摘もあります。
世界はグローバリズムに疲れているように見えます。グローバリズムは世界全体では貧困削減につながりましたが、各国国内の格差を解決できず、先進国では移民受け入れの社会コストが上昇し、欧州の多くの国で右傾化がみられます。
こうした状況だからこそ、国際的な知的協力を進めるユネスコの役割は重要です。国の大小や軍事力・経済力に関わらず、各国代表がかなり自由闊達(かったつ)に意見を交わす雰囲気があるユネスコには、多くのグローバルサウス諸国が愛着を持っています。ユネスコは、これらグローバルサウスの国々との連携の場として有用といえるでしょう。
――8月現在では1,223件(文化遺産952件、自然遺産231件、複合遺産40件)の世界遺産が記載され、日本の世界遺産は26件(文化遺産21件、自然遺産5件)です。各国の発言力や国際関係、紛争の発生などによって登録に偏りが出ませんか。
世界遺産条約には、石造建築をもとにした登録基準など欧州中心の傾向があったほか、登録申請にノウハウや資金が必要なため、途上国が不利との指摘もあります。日本は木造建築も認められるよう基準を柔軟にしたり、アフリカ諸国に登録申請における能力支援をしたりしてきました。
■アンコールワット、バーミヤン、オデーサ… 紛争からの保護をどうするか
今年の世界遺産委員会では、「佐渡島の金山」の世界文化遺産としての登録が決まりました。その普遍的価値について異論はなく、全ての委員国のコンセンサスで登録されました。
――保存に懸念が出ている世界遺産も少なくありません。
カンボジアのアンコールワットやアフガニスタンのバーミヤン、最近ではウクライナ・オデーサの歴史建造物のように、紛争からの世界遺産の保護は長年の課題です。近年ではパキスタンのモヘンジョダロの水害、イタリアのベネチアの海面上昇など、気候変動の影響も指摘されています。
世界遺産登録による観光資源化への期待がある一方、オーバーツーリズムの問題もあります。持続可能性が課題といえます。
――ユネスコの文献や映像資料の保存でも難題を抱えています。
ユネスコの地下にあるアーカイブに足を運びましたが、前身の国際知的協力機関時代を含め、100年分の膨大な文書、写真、音声、映像の資料が所蔵されています。新渡戸稲造・国際連盟事務局次長が出席した国際知的協力委員会の議事録や、各国文献の翻訳事業で作成された夏目漱石の「こころ」のフランス語訳がありました。
映像フィルムの劣化が進むなど、これら貴重な資料の保存、デジタル化が課題になっています。日本も支援していますが、デジタル化率は全体の5%に過ぎません。
先日、保存資料のさらなるデジタル化支援を呼びかける国際会議を日本やフランスなどの支援により開催しました。デジタル化すれば、世界のどこでも見られるようになります。
2度の世界大戦など、戦争の惨禍を繰り返さないための先人の取り組みを示す歴史的資料へのアクセスは、「人の心の中に平和のとりでを築く」協力を進める上での重要な基盤だと思います。
6日前