(社説)鬼怒川判決 国の瑕疵を再び認めた
河川管理の瑕疵(かし)(欠陥)を高裁が認めた事実は重い。国は治水のあり方を見直すきっかけにしなければならない。
2015年の関東・東北豪雨で鬼怒川があふれ浸水被害が起きたのは管理の不備が原因として、茨城県常総市の住民らが国に損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は住民側の一部勝訴とする判決を一審に続き言い渡した。
訴訟では上流と下流の2地点について、堤防管理のあり方などが争点となった。
判決は越水が生じた上流の若宮戸地区で、もともとあった砂丘には氾濫(はんらん)を防ぐ役割があり、それを「維持する必要があった」のに、開発に許可が必要な河川区域に国がずっと指定せず、結果的に太陽光発電の事業者が掘削したことで「安全性のない状態となった」と指摘、「河川管理における瑕疵がある」と認めた。
一方で破堤した下流の上三坂については国の改修計画に「格別不合理な点はない」として、住民の訴えを退けた。
過去の水害訴訟では「未改修や改修不十分な河川では過渡的安全性で足りる」と行政の瑕疵の範囲を狭く限定した大東水害訴訟の最高裁判決(1984年)が司法判断の根幹となってきた。
今回の判決は上三坂ではこの論法を下敷きとした国の主張を認めつつ、若宮戸では、未改修であっても管理者は川の安全の維持を担う以上、砂丘の掘削を招いた不作為の責任を重くみたものだ。
河川の改修には予算も時間もかかり、危険な所から順に工事していくしかない。だが、現状の安全性が損なわれないように監視し、管理する責任があるのは当然だ。
水害は川の形状や流域の開発状況で被害程度が異なる。大東判決後、司法は個別の原因を深く考慮せず行政の責任は問えないとしてきた面はなかったか。高裁判決は、過渡的安全でよしとする理屈で免れてきた管理者の責任のあり方に一石を投じたといえる。
常総市は低平地が広がり、発災時は市の約3分の1が浸水、避難指示も一部で後手に回った。屋根や濁流のなか電柱にしがみつく人らがヘリコプターで救助された。
被災者らが人災の疑いを深めたのは災害翌年の国との対話後だ。なぜ被害が拡大したのかという疑問に正面から答えない国に不信を抱いた住民らが、改修計画の問題点を自ら掘り起こした。
気候変動を背景に、近年、経験のない大雨が頻発する。効果的な対策が本当にとられてきたのか。命を守る河川行政のあり方とは何か、いま一度、見直す必要がある。