(社説)谷川さん逝く 言葉への疑いに学ぶ
教科書に載っていた詩「朝のリレー」に、子どもと読んだ絵本に、スヌーピーの漫画に、「あ、ここにも」と、その名を見つけたことがある人もいるだろう。詩人の谷川俊太郎さんが、亡くなった。
現代詩の読者層が厚いとはいえない日本で、例外的に多数の読者を得た詩人であり、詩集の中だけには到底とどまらない仕事は、私たちの日常に溶け込んでいる。
それほど多くの言葉を編み続けたにもかかわらず、言葉を疑っている、言葉を信じていない、としばしば公言した。「言葉に頼るのは、とても人間の現実を見失わせる可能性がある」と(「詩を書くということ」)。沈黙について書いた詩も多い。
言葉と現実の間には、埋められない溝がある。とりわけ、谷川さんが小学生の時すでに心に生まれていたという詩情を表現するには、言葉では不自由だったのだろう。
13歳まで続いた戦争の影響もうかがわれる。韓国の詩人・申庚林(シンギョンニム)さんとの対談を収めた本では、友達と自転車で空襲の焼け跡に行き、焼死体が転がっているのを見た経験を挙げ、「言語とは実に不完全なものだといつも思っていました。感じたことの十パーセントも言葉では表現できない」と語っていた。
取材では、戦意高揚の詩を読む朗読会やさまざまな標語があったと回想し、「言語が人を酔わせることに、すごく警戒心がある」と話した。
言葉を疑ったのは、生と言葉の関係を突き詰めて考えたからでもあった。そして、自分が社会につながるには詩を通してしかないと、詩を信じようとした。詩ならば、言葉の持つ機能のうち「意味」だけに縛られず、音の響きやイメージで、世界の手触りを感じさせることができると。
言葉が現実に届かないことへの「渇き」は、だからこそ詩のつるをしなやかに伸びさせた。世界の姿を誰も見たことのない方法で鮮やかに描いてみせた。かと思えば、言葉にすることへの身もだえをそのまま見せることもあった。
広島に原子爆弾が投下された8月6日を指す「その日」という詩には、「苦しみという名で呼ぶことすらできぬ苦しみ」「私が決して行き着くことのできぬ深み」とある。
瞬時に言葉が増殖し、消費される時代。人とつながるためにではなく、人との間を切り裂くため、言葉が使われることもある。言葉の不自由さをかみしめながらも、言葉を使って人とつながることに果敢に挑み続けた希代の言葉の使い手から、私たちが学べることがあるのではないか…
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