(社説)袴田さんに無罪判決 取り返せない司法の過ち
正義を実現するはずの刑事司法による、取り返しのつかない過ちである。
58年前に静岡県内であった一家4人殺害事件で死刑が確定していた袴田巌さん(88)の再審公判で、静岡地裁はきのう無罪を言い渡した。
捜査当局がつくった証拠で有罪になり、裁判所がその判断の誤りを正すこともなく、袴田さんは半世紀近くを拘置所の独居房で過ごし、死刑台の縁に立たされてきた。
国家による最悪の人権侵害というほかはない。
■つくられた「有罪」
判決は、検察側が提出した中心的な証拠について捜査機関による捏造(ねつぞう)だったとし、証拠能力を否定した。
現場のそばのみそタンクから見つかった衣類5点と、袴田さんの実家から見つかったとされた端切れ。
事件と袴田さんを直接結びつける証拠だったが、衣類の血痕の赤みに関する科学的証拠や発見された状況などをさまざまな角度から見て、事件との関連性を否定した。
袴田さんの自白調書についても、非人道的な取り調べで得られた「実質的な捏造」と指摘。袴田さんを犯人とは認定できないと結論づけた。
袴田さんの姿は法廷にないことが、事件の理不尽さを何より伝える。
10年前の静岡地裁の再審開始決定以降、姉秀子さん(91)と社会で生活しているが、釈放当時の拘禁症状が残り、意思の疎通は難しい。再審でも、出廷を免除された。
補佐人として法廷で「弟に真の自由を」と求めた秀子さんに、国井恒志裁判長はきのう、「自由の扉は開(あ)けた」と語りかけた。
急がれるのは、この無罪判決の確定と、袴田さんの権利の救済だ。
■何を誤ったのか
証拠捏造の指摘は、捜査機関への信頼の土台を失わせるものだ。
再審開始を決定した静岡地裁、東京高裁も同様の指摘をしたが、検察側は「捏造の利益などなかった」と再審で激しく反論した。三たびの指摘にも背を向けるのでは、不信を深めるばかりだ。
死刑に至るほどの事件でなくても、警察、検察による証拠の捏造は、現代にも明らかになっている。反省しない姿勢が、次の過ちをうんできたのではないか。
検察側は控訴すべきではない。今回の第2次再審請求からでも16年。問題の衣類5点の証拠能力も再審請求審で最高裁も含めて精査された。
そもそも再審に至ったのも、刑事訴訟法が求める「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」の存在が認められたからだ。間違っていたら取り返せない死刑判決の正統性は、とうに失われている。
検察側に求められているのは、上訴で確定を先送りすることではなく、捜査、公判、再審手続きの過程について検証に着手することだ。
裁判所も、三審制の全段階で判断を誤った確定審、再審請求から再審に至る経過のそれぞれについて、検証を免れることはない。有罪とした確定第一審ですら、長時間にわたる威圧的な取り調べを問題視しており、捜査のあり方への強い疑義があったはずだ。
中核的な証拠について、真実性も含めて吟味する姿勢も欠いてはいなかったか。特に袴田さんが第1次再審請求をした1980年代は、同じ静岡県警が担当した島田事件を含む死刑再審無罪が4件続いていた。過去の有罪を新たな目で点検する意義に、裁判官こそ敏感であるべきだった。
当時、報道を通して袴田さんを犯人視する偏見が広がった。事件報道にも反省すべき点が多々ある。
■再審制度の機能不全
誤った判決を正すのに、途方もない年月がかかっている。再審の可否を決める手続きに時間がかかり、肝心の再審に届かない。
再審は、無罪とされた後の刑事責任追及を禁じる憲法39条の下、有罪となった人の利益になるものだけが認められる。つまり、ただの裁判のやり直しではなく、冤罪(えんざい)被害者の人権救済制度だが、現状ではその機能を十分果たしていないことは明らかだ。
背景にあるのは、刑事訴訟法が再審手続きについてほとんど規定していないことだ。担当裁判官の姿勢しだいとなりがちで、事件による「再審格差」があると、弁護士たちは指摘している。
この事件では、第2次再審請求審で静岡地裁が検察側に粘り強く促し、確定審には出ていなかった衣類5点のカラーの写真やネガが初めて開示されたことが決定的だった。
捜査側の意のままになっている証拠の取り扱いの適正化も喫緊の課題だ。裁判員制度の導入に伴い証拠開示が制度化されたが、再審手続きには及んでいない。
裁判官も人間であり、間違いを完全になくすことはできないだろう。その前提で、誤判があっても、できる限り早く是正できる再審制度の確立を進めねばならない。
それなしに、袴田さんが経験した恐ろしい冤罪の被害を根絶することはできない。
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