(社説)「コロンブス」 鈍感さを生んだものは
歴史との向き合い方が問われる出来事だった。人気ロックバンドMrs.GREEN APPLEの新曲「コロンブス」のミュージックビデオ(MV)が、植民地主義を想起させるなどと批判を浴び、今月半ば、公開が停止された。
15~16世紀の探検家・コロンブスなどに扮したメンバーが、訪れた島で類人猿と遭遇するという設定だった。コロンブスは、先住民の征服のきっかけになった存在として、現在では負の評価がなされる。類人猿に人力車を引かせる、ピアノや乗馬を教えるといった描写が、人種差別や奴隷制もほうふつとさせるとして、批判された。
メンバーの説明によると、「悲惨な歴史を肯定」する意図はなく、類人猿が「差別的な表現」に見えることも懸念し、特殊メイクなどを工夫したという。説明は十分とは言えないものの、批判を受け止めようとする真摯(しんし)さが伝わる。だからこそなおさら、問題の多い表現をなぜ事前に防げなかったのか、疑問だ。
メンバーだけではない。多くの関係企業が事前に問題に気づかず、テレビもMVを肯定的に紹介していた。
負の歴史を無批判になぞるような表現は、これまでも繰り返し問題になってきた。たとえば2016年には、アイドルグループの衣装がナチス・ドイツの制服に酷似していたという事件があった。
日本社会には、「政治的」な表現を忌避するような風潮がある。しかし、音楽を含めて表現が、政治的に全く無色ということはあり得ない。歴史に関心を向けないでいるのも、一つの政治的態度だ。負の歴史に向き合うことを避ける風潮が、鋭敏な感性を持つはずのアーティストやクリエーターを政治的な鈍感さの中に閉じ込め、歴史をもてあそぶような表現につながったようにも見える。
教訓を受け止める際に留意したいのは、コロンブスを扱ったことではなく、扱い方が問題だったという点だ。特定の言葉を使うだけで、文脈にかかわらず即差別的とされるように、表現の幅が狭まっていくのは望ましくない。
忘れてはいけないのは、先住民族の権利侵害や植民地主義は、日本も当事者として経験してきたということだ。
今回はSNS上で素早く批判が起きた。しかし時代の進展がもたらすのは、そうした人権感度の高まりばかりではない。過去の惨禍から遠ざかるほど、社会の中で自然に知られていた、痛みを被った人たちと加害についての記憶が失われていく場合も多い。そのことを思い起こしたい…
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- 【視点】
コロンブスのMV、最近ようやく入手してひと通り観ることができました。ツッコミどころは多々あるのですが、一番の違和感はやはり日本人がコロンブスに同化しているところでした。 大航海時代以降、ヨーロッパ人は世界中で侵略を繰り返し、各地を植民地化
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