(社説)水俣病と環境省 役所の原点に立ち返れ

社説

 環境省の務めは何か。

 水俣病など公害が高度成長期に深刻な社会問題となり、1971年に前身の環境庁が発足するにあたり、被害者を含む人々の側に立つことを掲げたはずだった。伊藤信太郎環境相は、役所の根本が問われていると認識すべきだ。

 水俣病の公式確認から68年となった1日、熊本県水俣市での環境相と患者を中心とする関係8団体との懇談会で、環境省側が複数回、参加者の発言中にマイクを切った。

 発言は一団体あたり3分間とされ、それを超えた人がマイクを切られた。参加団体側は当初、進行に協力していたが、水俣病と認められないまま亡くなった妻について切々と語っていた男性がマイクを切られ、怒りと抗議の声が噴出した。

 暴挙というほかない。

 とりわけ伊藤環境相の責任は重い。会場の混乱を目にしながら指示もせず、「(マイクを切ったことは)私は認識していない」「私は全部聞き取れた」などと、ひとごとのような発言に終始した。

 会合の冒頭で「皆様のお話をうかがえる重要な機会」と話したが、毎年の恒例行事をこなすような感覚だったのではないかと疑いたくなる。参加者の話を聞いて「胸の締め付けられる思い」などと語ったが、空しく響く。

 患者側が謝罪と再度の面会を求めるなか、伊藤氏はきのう、緊急会見で謝罪した後、水俣市を訪れマイクを切られた2人に直接謝った。懇談会の運用を見直すことも表明したが、そもそも1団体3分という設定自体が、真摯(しんし)に声を聞くには短すぎるものだったと省みなければならない。

 環境省がなすべきは、単に被害者の声を聞くことにとどまらない。

 昨年来、大阪と熊本、新潟の各地裁が水俣病と新潟水俣病に関して示した三つの判決は、今なお多くの被害者が救済から取り残されている現状を突きつけた。

 これまでに2度、政治決着が図られてはきたものの、救済には住まいや年代による線引きもあり、対象にならなかった人たちが裁判で訴え続けている。

 高齢化が進み、他界する人も相次ぐ原告たちの望みは、幅広い救済に向けた政府との協議である。しかし、政権がさらなる救済策に消極的なことは容易に想像がつく。

 伊藤氏は「水俣病は環境省が生まれた原点」と語った。ならば官邸や法務省を説得し、被害者との協議を進めてもらいたい。被害者の立場から政府内で声を上げることこそが、環境省の役割である…

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