(社説)宝塚歌劇団 因習と決別できるのか

社説

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 華やかな舞台の裏側にある過酷な労働実態の一端が明らかになった。長らく受け継がれてきた因習と決別できるのか。重い課題が突きつけられているが、具体的な道筋は見えていない。

 宝塚歌劇団の劇団員の女性が亡くなり、自殺とみられている問題について、外部の弁護士チームによる調査結果を歌劇団が公表した。長時間にわたる稽古や公演準備などによって、女性には大きな心理的負荷がかかっていた可能性を指摘している。

 歌劇団は安全配慮義務を果たしていなかった責任を認めて謝罪した。理事長は引責辞任する。再発防止策として過密な公演スケジュールの見直しや外部の相談窓口の設置なども打ち出した。

 しかし、これだけでは、歌劇団が抱える構造的な問題が十分に解明されたとはとても言えないだろう。

 報告書からは、厳しい上下関係に依拠した独特の指導・管理体制の存在が浮かび上がる。伝統という美名のもとに、働く人たちの安全や権利がないがしろにされてきたのではないかとの疑念を抱かざるを得ない内容だ。

 だが報告書は女性に対して上級生から厳しい指導や叱責(しっせき)があったことを認める一方、社会通念に照らし許容される範囲だったなどと結論づけ、パワーハラスメントがあったとは認めなかった。外部チームが歌劇団の組織風土を無批判に追認しているように遺族が感じるのも当然だろう。

 おとといの会見では、幹部が歌劇団や芸事の世界の独自性を強調し、改革にあたって外部の関与をためらうかのような発言もあった。そのように自らを聖域化する意識こそが、問題を長きにわたって放置してきた原因ではないか。

 女性の死の背景にある歌劇団の病巣を洗い出すため、あらためて労働問題に詳しい専門家などを入れて徹底的な検証を行うべきだ。女性が結んでいた拘束性の強い業務委託契約の妥当性、音楽学校も含む人材育成のあり方、閉鎖的な組織文化など、点検すべき項目は多岐にわたるだろう。

 歌劇団を傘下に持つ阪急阪神ホールディングスが主導的な役割を果たすべきなのはいうまでもない。歌劇団は阪急電鉄の本業の一つとして多くの利益を上げ、幹部も送り出しているのに、本件では一貫して影が薄い。経営陣は重い責任を負っていることを理解しているのだろうか。

 歌劇団には100年超の歴史があり、あまたのファンを抱えて数々のスターが輩出してきた。社会的影響力の大きさを自覚してもらいたい。

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