(後藤正文の朝からロック)「ハンチバック」から苦い問い
コインパーキングの駐車券を取ろうとして右手を伸ばすと、肩に激痛が走る。街そのものが、肩関節周囲炎に悩む人のためにはデザインされていないのだと痛感して、恨みに似た感情が胸のうちに押し寄せたあと、ふと我に返った。
文学紹介者の頭木弘樹さんが芥川賞受賞作『ハンチバック』について寄稿した記事を思い出す。目が見えることだけでなく、読書の体勢を保てることや、書店へ自由に本を買いに行けることの健常性を要求する読書文化を「読書文化のマチズモ」と表した著者の市川沙央さんの文章を引用し、自身の体調不良の体験も合わせて、読書バリアフリーの現在が紹介されていた。
紙の本や塩化ビニールのレコードといったフェティシズムに耽溺(たんでき)しきっていた僕は、恥じ入るような心持ちで記事を読み終え、たまらずに『ハンチバック』を購入して一気に読んだ。自分の肩が痛いときにだけ、街や社会の構造について嘆く自分の小ささや、ちっぽけな僕の想像力を蹴散らすような文体が気持ちよかった。しかし、読後には私たちの命と在り方についての、重くて苦い問いが立つ。
例えば、音が聞こえない人がいるという事実を、音楽家はどう考えるべきか。難問だと言える。しかし、「無人駅なのでお手伝いが必要な方はお引き取りください」と、無表情で返すわけにはいかない。
(ミュージシャン)
◆隔週水曜掲載…