(社説)戦後78年 日本と世界 自由を「つかみかえす」とき

社説

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 78年前の8月15日は、日本の敗戦の日と記憶される。9月2日には米艦ミズーリで日本が降伏文書に署名し、戦争が正式に終わった。政府代表を務めたのは重光葵(まもる)外相だった。

 その重光こそ、戦況が不利に傾いていた1943年、遅まきながら戦争の「大義」を掲げようと苦闘した人物である。

 日本は「アジアの民族に自由を与え、自由を保護する地位」にある――。重光は当時、手記にそう書きつけた。

 41年8月に英米首脳が発表した「大西洋憲章」が、各国の自由、すべての人々の解放を掲げたことへの対抗だった。少なくとも重光にとって、目下の戦争は「自由をめぐる戦い」という一面をもっていた。

 だが実際に起きたことは、全く異なる。戦前から統治した台湾や朝鮮半島、新たに戦場や占領地となった中国大陸や東南アジアのいずれにおいても、日本は自由を奪い、搾取し、筆舌に尽くしがたい苦難を強いた。

 敗れ、占領下に置かれた日本は社会の自由を取り戻した。皮肉というほかない。

 『君たちはどう生きるか』の著者、吉野源三郎が当時の実感を回想している。

 「日本人自身が自分の手でこの改革をなしとげたというよりは外からの打撃によって旧(ふる)い勢力が打ち倒されたおかげが大きかったので、そう手放しに喜ぶことはできませんでした」(『職業としての編集者』)

 歴史の皮肉はそれにとどまらない。戦後、再出発した日本の自由と平和は、周辺地域の犠牲に支えられたといってよい。

 中国と対峙(たいじ)する台湾や北朝鮮と接する韓国は、冷戦の「防波堤」の役割を負わされ、自由は軽んじられた。米国を後ろ盾とする独裁政権が、異議を唱える労働者や学生らを弾圧した。

 米軍統治下におかれた沖縄では、基地のため住民の土地が奪われた。権利が踏みにじられたまま日本復帰後の今に至る。

 この構造を日本社会はどこまで自覚してきただろうか。

 ■ウクライナの苦しみ

 日本の国会で昨年3月、オンライン演説したウクライナのゼレンスキー大統領は「自由に対する我々の感情、生存への希求、平和への希望」において両国に違いはない、と言った。

 だがそのウクライナに、かつての日本のように負けて自由を得るという選択肢はない。

 この1年半、動員対象とされて国を出られない多くの市民がいる。国家の自由を奪われないため、当面は市民の自由を犠牲にしなくてはならない。深い苦悩に改めて思いを致したい。

 日中戦争以来の戦没者が310万人を数え、各都市が焦土と化した日本の敗戦時の情景はウクライナに通じる。だが、侵略者としての日本の姿は、むしろ今のロシアに重なる。

 ロシアはウクライナ東部の親ロ派支配地域を独立国家として承認した後に全面的な侵攻を始めた。かつて日本軍は、かいらい国家「満州国」を中国侵略の足がかりにした。

 なぜ日本はウクライナを支援するのか。自問する際に心に留めておきたい歴史である。

 ■思考が止まる危うさ

 そのウクライナで起きていることが、軍事的な緊張となって東アジアに反響する。いまや大国化した中国と対峙する前線に日本も連なるのか、と。

 防衛費の増額が内容の吟味も不十分なまま進む。貿易や投資にあたっては安全保障への配慮が当然のごとく語られる。「学問の自由」を守るため軍事研究に慎重な日本学術会議への政府の圧力が、やまない。

 「安全保障環境が厳しさを増している」。そんな決まり文句が、私たちの思考を停止させてはいないか。

 もちろん国を守る備えは大切だ。だからこそ、とことん議論する必要がある。戦争の惨禍への想像力、過去の過ちから学ぶ真摯(しんし)な姿勢も欠かせまい。

 ■問われる政治参加

 英エコノミスト誌の調査部門がまとめた2022年の民主主義指数で、日本は世界16位。台湾は10位だった。

 差がついた一因は政治参加にある。前回20年の台湾総統選投票率は約75%だった。独裁政権期を経て勝ち取った自由を守る気概がうかがわれる。

 日本の国政選挙の投票率は50%台。権利の上に半ば眠っていると言えまいか。

 国際NGO「国境なき記者団」によれば、報道の自由度において日本は台湾、韓国よりも評価が低い。政治的圧力やジェンダー不平等などが政府の責任を問うジャーナリストの役割を妨げている、と指摘された。

 かつてメディアの軍への迎合、言論統制の受け入れが戦争への道につながったことを、自戒とともに思い起こしたい。

 敗戦で得た自由を、市民がわがものと受け止め、日々生かしてゆく。「それによって『与えられた自由』は私たちの『つかみかえした自由』になる」と、吉野は書き残した。その提起は今も色あせていない。

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