(絶たれた明日 被爆78年:5)名すら刻まれなかった子たち

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 優しい性格の蒲地(かもち)和之さんは佐賀県有田町で生まれ、呉服店を営む両親に大切に育てられた。

 14歳の時、伊万里商業学校の同級生たちと長崎で暮らすことになった。三菱兵器製作所に学徒動員されたためだ。

 「厳しき寒さにも堪え毎日の職務に頑張っています」。家族に宛てて、何度も手紙を書いた。兄の受験…

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