(社説)安倍氏銃撃から1年 「分断」の政治のその先へ

社説

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 安倍元首相が選挙遊説中に銃撃に倒れてから1年が経った。

 今年4月には現職の岸田首相が、やはり遊説中に爆発物を投げつけられた。街頭に立って有権者と向かい合う政治家を、凶器で襲う行為の卑劣さは、何度非難してもしたりない。

 民主主義の最も大切な基盤である選挙活動の安全は、是が非でも守られなければならない。そのことを改めて強調しておきたい。それは市民と社会の自由を決して手放さないためにこそ、である。

 ■民意の包摂なお遠く

 安倍氏の不在は日本の政治に何をもたらしただろうか。

 その政治手法において、安倍氏には際立つ特徴があった。「友」と「敵」の峻別(しゅんべつ)であり、「分断」である。

 味方とは徹底して仲良くする一方で、考えや立場の違う相手は手加減なしに攻撃した。「こんな人たち」「悪夢のような民主党政権」。敵対をあえてあおり、そこから権力行使のエネルギーをくみ上げる手法である。

 国会を軽んじる姿勢も目に付いた。虚偽の答弁を重ねたり、野党の質問者にヤジを飛ばしたり。そして、大事なことはおおかた、閣議だけで決めてしまう。集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更が典型だった。

 これに対し、岸田氏は当初、「分断から協調へ」を掲げ、「聞く力」をアピールした。自民党を「多様性と包容力を持つ国民政党」とも位置づけた。

 確かに物腰は柔らかく、安倍氏のような戦闘的な分断の政治は影を潜めた。だが、安倍氏の死去後、別の顔も見せ始める。

 安全保障政策の転換や、原発活用への回帰などを強引に進めた。国会審議でも、情報を出し惜しみ、説明を避ける場面が少なくない。

 安倍氏の国葬を国会に諮ることなく進め、世論の二分も意に介さなかった。

 多様な民意の包摂と丁寧な合意形成という点では、安倍政治並みか、それ以上に縁遠い、という疑問を禁じ得ない。

 ■自認した「保守」とは

 安倍氏は小泉内閣官房長官時代の著書「美しい国へ」で、自身の立場を「保守主義」と規定している。

 「革新とか反権力を叫ぶ人たち」は「どこかうさんくさい」とも書いた。

 安倍氏にとって保守すべきものは何か。同書の中には、「日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれてきた伝統」というくだりを見いだせる。

 保革の対抗という構図はとうに崩れているが、「保守とは何か」という問いを安倍氏が再浮上させたことは間違いない。

 かつて劇作家の福田恒存は、保守的な「態度」というものはあっても、「主義」などというものはありえないと主張した(「私の保守主義観」)。福田によれば、保守はイデオロギーではない。

 翻って安倍氏には、改憲への前のめりな取り組みなどに右派的なイデオロギーを感じさせるところがあった。海外メディアに保守ならぬ「急進」ナショナリストと評されたこともある。

 右か左か。保守かリベラルか、はたまた中道か。政治家や政党の立ち位置を表す言葉は厳密には定義しがたい。一人の政治家、一つの政党に複数の要素が入り交じることも多い。

 安倍氏も、経済政策では左派的と見られることがあった。外交の場面では、法の支配や、人権、自由といった通常リベラルと形容される言葉を使った。

 一方、岸田氏はイデオロギー色をあまり感じさせない。出身派閥の伝統的な立場「リベラル、自由」に触れる程度だ。

 だが、その「徹底した現実主義」は、戦後日本が営々と積み上げてきたものを、ためらいなく変えてしまうこわもての側面にもつながっている。

 ■「強権」より「熟慮」を

 安倍政権以降の自民党政治が見せつけているのは、首相がその気になれば際限ない「強権政治」が可能になるという制度的な欠陥である。

 「国権の最高機関」のはずだった立法府は内閣の下請け機関と化した。

 行き過ぎ、やり過ぎの政治を許す仕組みを放置したままでいいのか。三権のあり方にせよ、選挙制度にせよ、不具合の手直しは差し迫った課題だが、手が付かないままである。

 ものごとが極端な方向に振れるのを嫌い、ほどほどのところに何とか収める。性急な破壊や建設は避け、何事も慎重に漸進的に進める。

 そんなバランス感覚と政治技術を尊ぶ政治スタイルが取られた時期も戦後政治にはあった。

 時代は変わった。冷戦後の情勢変化を受けて、政治指導者は素早い決断と対応の断行を迫られるようになった。

 それでも、熟慮に基づく政策決定と、その細心な運用の重要性に変わりはないはずである。

 分断に満ちた荒々しい政治から、穏健で落ち着きのある政治へ。このへんで大きな方向転換を考える時ではないか。

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    藤田直央
    (朝日新聞編集委員=政治、外交、憲法)
    2023年7月8日9時19分 投稿
    【視点】

    凶弾に倒れた安倍氏の冥福を祈りつつ、この社説にある「保守」について。  歴史を見つめ、社会に安定や発展をもらたしてきた価値を見いだして受け継ぐ。その価値を守るためにこそ時代の変化に柔軟に対応する。私は「保守」をそう考え、価値(主義)をめぐ

    …続きを読む