(社説)日本国憲法と死刑 今こそ意見を交わすときだ

社説

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 やっていない行為で逮捕され、死刑を宣告される。国家による、あってはならない人権侵害だが、1980年代には、死刑が確定していた4人が再審で無罪になっていた。

 今年3月、袴田巌さんの再審開始が決まり、戦後5例目となる可能性が高まっている。

 第2次大戦後、制定された日本国憲法は「すべて国民は、個人として尊重される」と掲げ、残虐な刑罰を禁じる。一方で死刑を想定すると読める規定ももつ。戦前からの死刑は残ったが、許容される刑なのかどうか、絶えず見直すべきだろう。

 死刑の対象者が社会生活を送っている状況はまれだ。袴田さんから何を学ぶか、同じ時代を生きる私たちが問われている。

 ■冤罪そそぐ力も奪う

 袴田さんは静岡地裁の再審開始決定に伴い、9年前に釈放された。姉秀子さんとの日々は穏やかだが、48年近くに及ぶ自由の拘束で精神を病み、コミュニケーションは難しい。

 公判中、冤罪(えんざい)を訴え続け、手紙をたくさん書いていた袴田さんの変調は、80年に死刑が確定した後、進んでいった。

 「隣の部屋の人が昨日、処刑された」「『お元気で』って言っていた」。面会にきた秀子さんにそう伝えた後、何年間もだれとの面会も拒んでいたこともある。名前で呼びかけた人には、本人であることを否定し、妄想の世界の言葉を重ねた。

 死刑執行と向き合う恐怖と孤独が、自ら冤罪をそそぐ意思や能力も奪っていた。

 袴田さんの再審請求は、秀子さんと弁護団が続けていたが、100人以上いる死刑確定者には家族や支援者とのつながりがとうに絶えた人も少なくない。

 ■現代にかなうのか

 死刑制度は、誤判で執行されたら取り返しがつかないこと、国家が個人の生命を奪うことへの根源的な疑問など、さまざまな問題をもっている。絞首刑という方法には、死刑存置の立場からも批判がある。朝日新聞の社説は、廃止に向けた議論を始めることを呼びかけてきた。

 罪を犯した人が刑に服し、自らの責任と厳粛に向き合う大切さはいうまでもない。犯罪被害者や遺族を孤立させず、支援や補償を手厚くしていくことも、併せて考えていく課題である。

 一方、刑罰制度は処罰感情に任せるのではなく、罪に見合った刑をめぐり社会が重ねてきた合意に支えられるべきものだ。

 その前提で、死刑の本質を見つめることから始めたい。

 袴田さんの経験からわかるのは、死刑は命を奪うことにほかならないのに、執行までの日々の過酷さも事実上の刑となっていることだ。身体より先に心を殺す刑と指摘されるゆえんだ。

 死刑が確定すると、心情の安定を理由に、他者との交流は厳しく制限される。一人部屋で過ごし、面会や手紙の相手も近親者らに限られる。

 「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」という憲法の規定に死刑が適合するか問われた裁判で、最高裁大法廷は1948年、合憲と判断した。憲法施行から10カ月後のことで、今日までの司法判断もそれに沿うものだ。

 判決は裁判官11人の全員一致だったが、4人は補充意見で、社会の変化によっては死刑が排除されることもあるとし、将来の選択に道を開いていた。

 それから75年。56年には議員提案の死刑廃止法案が国会で審議され、89年から3年4カ月は執行が途絶えた。2009年から死刑対象事件の裁判に市民が参加するなどいくつかの節目があったが、死刑存廃の議論を深めるには至らなかった。

 その間、世界では死刑廃止の流れが加速し、世界の7割の国は死刑を行っていない。日本以外の先進国で唯一死刑を続けてきた米国も、2年前、連邦での死刑執行の停止を決めた。

 ■話し合いの土台を

 死刑制度にかんする19年の政府の世論調査では8割が「死刑もやむをえない」と答えた。国会の場や、国連人権機関などから廃止を促されると、政府は「国民の多数の支持」を最大の論拠として反論してきた。

 だが、政府は人々が死刑について意見を形成するために必要な情報を十分に提供してきたといえるだろうか。情報は法務省に集中しているが、刑場を報道機関に公開したのは民主党政権時代の1回だけだ。執行状況などの情報公開請求にはほぼ黒塗りの文書で応じるなど、後ろ向きな姿勢を貫いてきた。

 死刑廃止を目指している日本弁護士連合会は昨年11月、死刑に代わる新たな最高刑として終身拘禁刑を創設する提言をまとめた。議論の土台になる。

 対象者の処遇や執行に携わる公務員の考えにも耳を傾けたいが、発信の場はほとんどない。かつての死刑廃止法案の審議では執行を担った法務省幹部が公述人になり、個人の意見として死刑廃止を求めたこともある。

 執行を一時停止し、知見を集め自由に意見を交わす。その機会を今こそ逃すべきではない。

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