(ひもとく)なぜ国語に文学 異質な他者に触れ、心情思う 安藤宏

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 今、「国語」という教科で「文学」をどう扱うか、熱い議論を呼んでいる。

 幸田国広著『国語教育は文学をどう扱ってきたのか』は、戦後の国語教育が文学の「鑑賞」から「読解」へ、つまり「おいしいかどうか」から「食べ方」の教育へと変化してきた経緯を丹念にたどっている。結果的に『羅生門』や『走れメロス』など一…

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    小熊英二
    (歴史社会学者)
    2022年1月22日9時3分 投稿
    【視点】

    社会によって「納得の構造」が違い、そのため「国語教育」も異なるという説がある。 渡邊雅子『納得の構造』(東洋館出版)および『「論理的思考」の社会的構築』(岩波書店)によると、米仏日は以下のように違うのだそうだ。 アメリカは、①主

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    おおたとしまさ
    (教育ジャーナリスト)
    2022年1月22日11時35分 投稿
    【視点】

    「他人を説得する」あるいは「理解し納得する」のに必要なのは論理だけではない。むしろ論理的言葉遣いだけでは限界があることを私自身痛感している。 たとえば中学受験に際して、偏差値に囚われたり成果主義的になったりすることがいかに愚かなことかを、

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