(社説)札幌五輪招致 足を止め市民と熟議を
この1年半余の混迷から、いったい何を学んだのか。疑問に思い、不信感を抱いた人も少なくないだろう。
30年冬季五輪・パラリンピックの招致に向けて、札幌市が大会概要案を公表した。既存施設の活用や式典の簡素化などによって開催経費を最大900億円減らし、2800億~3千億円にすることが柱となっている。
経費の削減に取り組むのは当たり前だ。問題は、この夏の東京大会の検証・総括がされず、顕在化した数々の問題が改善されるめども立たないまま、これまでの路線をひた走る政治の姿勢だ。一般の感覚とのギャップは埋めようがない。
当初7千億円強とされた東京大会の開催経費は少なくとも倍近くに膨らんだ。コロナ禍の影響で赤字は必至で、この先、納税者に重い負担がのしかかる。
「興行主」である国際オリンピック委員会(IOC)があらわにした独善的な体質や、開催地側に一方的に不利な契約も、五輪幻想を打ち砕いた。
コロナに苦しむ人々をしり目に、IOCの有力委員は「アルマゲドン(世界最終戦争)でもない限り大会は実施」と発言。赤字を開催地に押しつける一方で、放映権料を支払う米テレビ局やスポンサーへの配慮から、式典の簡素化などの提案を一蹴したのも記憶に新しい。
今さら引き返せないとばかりに、IOC、国、都、大会組織委員会がそれぞれの責任の所在をあいまいにしたまま、無理を重ねて強行したのが東京大会だった。「次」に名乗りをあげるにしても、国内外の課題を整理し、必要な見直しにせめて道筋をつけてからではないか。
加えて、中国の女子テニス選手の「失踪」事件をめぐり、IOCは真相の隠蔽(いんぺい)に加担するような行動をとった。目前の北京五輪開催のために人権をないがしろにしたとして、国際社会から非難が集まる。そんな中で招致に歩を進める市の行いには、首をかしげざるを得ない。
夏冬を問わず、五輪は節度のない肥大化で制御の限界を超えつつある。近年各地で、経費負担や環境破壊を心配する住民らの反対を受け、立候補を取りやめる都市が後を絶たないのは、ある意味で当然といえる。
札幌市は今後、道民の意向調査などを実施し、正式に招致するかどうか判断するという。
五輪の現状をどう評価し、開催にどんな意義を見いだしているのか。負担に見合う効果は果たしてあるのか――。人々が考えを深めるための材料を示し、市当局の見解を丁寧に説明し、疑問に正面から答える。「開催ありき」の愚に走らず、市民の声に真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。