(社説)高輪築堤 教訓生かし制度再考を

[PR]

 東京・品川の大規模な再開発区域から明治初期の鉄道遺構が見つかり、一部が国史跡に指定された。新橋―横浜間に初めて鉄道が敷かれた際、海上に線路を通すために造成された堤で、付近の地名をとって「高輪築堤(たかなわちくてい)」と呼ばれる。

 解体必至という状況から曲折を経て一部保存となった経緯を検証し、今後の文化財保護行政にいかす必要がある。

 遺構は19年以降に出土した。地権者のJR東日本は現地での保存に後ろ向きだったが、JR自身が設けた専門家の検討委員会は保存を求めていた。今年2月には萩生田光一文部科学相が現場を視察。その後、文化審議会の分科会が「国の史跡に値する」との意見を表明するなか、JRも方針を変えた。

 「明治日本の文明開化を象徴し、交通の近代化や土木技術の歴史を知る上で重要」(文化審議会)とされる遺構が、後世に残る意義は大きい。

 とはいえ、保存されるのは見つかった800メートルの堤のうち、120メートルにとどまる。緩やかなカーブを描く380メートルの区域は景観の観点からも重要だとして特に保存を求める声が強かったが、解体が決まった。

 検討委は「文化財的価値を損なうために承認できないが、開発計画の時間的制約からやむなしとせざるを得なかった」との見解を出している。開発と保存との両立に、改めて重い課題がつきつけられた形だ。

 文化財保護法などは、埋蔵文化財が発見されたときは自治体への届け出を義務づけ、調査や記録の保存を求めている。しかし、そのまま現地保存するかの判断は土地所有者らに委ねられる。憲法が保障する財産権との兼ね合いもあり、「保存」を安易に唱えられないのが実情だ。

 ただ、工事が始まってから遺構が見つかり、短時間で保存か解体かを迫られる例が多い。もっと余裕をもって検討できるように、法制度を工夫する余地はあるのではないか。

 たとえば、行政機関で都市開発と文化財を担当する部署が、開発の構想段階から情報を共有し、試掘などを通じてなるべく早く文化財を発見できる仕組みをつくることが考えられる。文化財保護の目が届きにくい近代の遺構でも、地中に残っていた場合に残す価値の高い文化財があれば、事前にリストアップしておくことも意味があろう。

 設計や工事が具体化する前に文化財の存在に気づくことができれば、遺跡を生かしたまちづくりにもつながる。事業者にとって決してマイナスではなく、保護法がうたう「国民の文化的向上」にも資する。高輪築堤の教訓を将来に生かしたい。

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

【春トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら