(多事奏論)コロナ禍の五輪 転げ落ちる石、首相は傍観者か 駒野剛

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 1945(昭和20)年9月、敗戦を受け入れてから3週間あまり。昭和天皇は栃木・日光に疎開していた明仁皇太子、現在の上皇さまに宛てて手紙を書いた。国民に多大の犠牲を求めた戦になぜ負けたのか、自らの率直な考えを示したのだ。

 「今度のやうな決心をしなければならない事情を早く話せばよかつたけれど先生とあ…

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