朝日新聞、役割果たせていますか 新聞週間2020

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 権力とメディアの関係が問われている。今年は本社社員も関係した賭けマージャン問題も発覚した。当局への取材のあり方から新聞と社会の結びつき方まで、新聞の役割を果たすために何が必要か、ジャーナリズム研究者で東京大大学院教授の林香里氏と、本社編集部門の責任者、執行役員編集担当の角田克が語り合った。

 ■「権力監視」、記録しているだけに見える 林さん/耳痛い指摘、内部人脈は不正つかむため 角田

 林 権力取材をめぐる最も大きな批判は、権力との癒着、ですよね。マージャンしないと話を聞けないのか。その問題についてどう考えているか。

 角田 言語道断だったと考えている。断罪派です。

 林 断罪派とそうではない派とはどこが違うのか。

 角田 少しでも許される余地があるケースを考えるとしたら、例えば官邸や法務省とのやりとりを元検事長から聞き出そうとしていて、それをどこかで書いて世の中に問う、というモチベーションがあっての行動だったら、言語道断とまで言い切れるかどうか。

 林 この問題、マスコミに近い人ほど「しょうがない」「これも一つの取材方法だ」と理解を示して優しくなる。マージャンまでしないと取れない情報があるというのがわからない。

 角田 例えば、元検事長と法務省との間にどういうやり取りがあったのか、官邸とはどうだったのか。その場面を立体的に書きたいと考えるのが記者の存在理由だと思う。

 林 ただ権力に近づくほど、規律をもたなければ甘くなってしまうのが人情というものでは。権力を監視しているというけれど、遠くから見ると、一挙手一投足を記録しているだけ、もっと言うと友達同士で楽しんでいるだけに見える。

 角田 ご指摘は耳が痛い面もあるが、権力取材はひとくくりにはできない。私も検察を取材していたことがある。銀行の不正事件で、3、4人の現場の検事に聞くと、捜査に危うさがあることがわかった。事件の捜査が終結した際、銀行側の争い方によっては裁判に課題が残ることを指摘した。検察の幹部からは「お前の顔は見たくない」と言われたが、結果的に正しかったという経験がある。

 林 権力を一枚岩に見ないということでしょうか。

 角田 たとえば朝日新聞が報じた大阪地検特捜部の証拠改ざんは、記者が検察権力の内側に人脈を持っていないと、不正の端緒をつかめず、未来永劫(みらいえいごう)、表に出なかった。この取材と報道は、捜査権力に信頼を置きすぎてはならないという自戒になっている。

 林 日本のジャーナリズムは当局取材に膨大な人やカネというリソース(資源)をかけている。国際比較でニュースの情報源比較をしたが、日本の報道は政府からの情報が突出して多い割に、市民の声が少ない。日本の新聞社やテレビは当局にべったり張り付いている。当局取材をやりすぎでは。

 角田 そこは反省しなければいけない段階にきている。ただ、企業ジャーナリズムとして言うと、当局取材は、情報が入手できれば速く正確だという意味で、合理的な面はある。

 林 半分くらいは納得するが、読者は「速く正確」以上の読み応えあるニュースを望んでいる。その体制ではおもしろい記事もでてこないのでは。

 角田 取材の対象、コンテンツの内容、発信の手段、原稿の書き方、働き方、いずれも変革の中にある。デジタル化も一つの鍵になる。

 林 もう一つ問題なのは密室取材は日本人男性中心の閉ざされた世界だということ。女性記者へのセクハラはその象徴です。当局への密室取材は、女性の活躍を阻む面があると多くの女性記者が言っている。

 角田 そういう面はあると思う。現時点で新入社員の半分は女性だが、朝日新聞全体で2千人いる記者の中で女性は2割でまだ少数派であることは間違いない。ある一定の時期までは女性は権力取材から遠い持ち場にいることが多かったが、必然的に増えている。同時に、そうでない持ち場でも女性が増える。取材領域にとらわれない女性登用を普通にしていく。

 林 新聞が社会とのつながりを失っていることの象徴的な例が賭けマージャン問題だった。これから具体的にどう対応していくのか。

 角田 記者行動基準を再点検して、それに合わせて私たちがめざす方向、あるべき姿を読者の皆さまにお示ししたいと考えているが、社会通念とか常識が大前提だ。

 林 何らかのルールは必要だと思う。効果は二つあって、一つは記者の行動を律する効果。もう一つは、朝日新聞の価値転換を広く社会に宣言する効果がある。現場の実情までは分からないので、新聞社として実効性あるルールを作ってほしい。それによって、当社は公正なジャーナリズムの担い手だと社会にきっぱり宣言したらいい。そもそも朝日新聞はメディア企業なのに、社会とのコミュニケーションが下手だ。

 角田 コミュニケーションはキーワードかもしれない。改善していきたい。

 林 朝日新聞を改革するうえで、最も優先度が高いのは何か。

 角田 一にも二にも意識改革だと思っている。

 林 新聞は古い業界で、改革がなかなか進まないように見える。記者クラブはその一例だ。戦後、その排他性が国内外から繰り返し批判されてきたが、各社は廃止はできないという。記者クラブも新聞やテレビの関係者以外は問題を指摘する声が圧倒的に多い。この落差をどうお考えか。

 角田 例えば、東京都庁の記者クラブを抜けると決めてしまえば、抜けることは理論上はできる。でも、コロナの渦中でクラブに属さずにどうやるんですか、となる。読者のみなさまに対して、情報が遅れるとか載っていないということのリスクをどこでどう割り切れるか。

 林 職業人として、どの社に属していようと、記者は記者というプロのアイデンティティーを持つべきではと思う。日本は企業ジャーナリズムが中心だが、将来どうなっていくのか。(企業という)「箱」ごとに動いていくのか。

 角田 私はそうではないと思いたい。日本のメディアにおいても、ジャーナリズムという旗の下に各社の記者がジャーナリストとして連帯していくにはどうしたら?

 林 たとえばドイツでは、大手出版社や新聞社が基金を出して記者の専門学校を作ったりしている。卒業生たちはいろいろな社に就職した後も情報交換し、切磋琢磨(せっさたくま)する。そういう記者の共通意識を醸成する場が日本にはないですよね。

 角田 朝日新聞のジャーナリスト学校などもそんな試みではありますが、広がりはまだありません。

 林 記者が企業の中の人になっているから、ジャーナリズムはどんどん縮小してしまっている。加えて、これも私の調査ですが、日本では、政治に関心がないと答える人の割合が他国より高い。一般の市民からは政治も遠ざかるしジャーナリズムも遠ざかる。巻き返してほしい。政治と普通の市民をつなぐのに、ジャーナリズムの役割は重要だ。また、「政治」という言葉も、政府官庁など当局のものだけでなく、よりよい暮らしや生活をつくる、という広い意味の「政治」もある。女性差別、貧困、新型コロナ。これらすべて政治問題。そういう政治意識を市民と共有する役割をもっと開拓してほしい。ニュースは当局取材以外のものがたくさんある。もっと議論を活性化して新聞をおもしろくして市民と政治をつなげてほしい。

 角田 1面トップは政治や経済の話が多くなりがちだが、介護のルポが連日載っていてもいい。いろんな試みがもっとあっていい。

 林 私の博士論文は家庭面についてだった。日本の本当のジャーナリズムは、記者クラブ取材のない家庭面にあると今も思っている。権力監視はとても重要だが、ジャーナリズムには色々な形がある。私が最近注目している「コンストラクティブ・ジャーナリズム(建設的な報道)」は、生活を豊かにする提案型の報道だ。あるいは、読み物として面白い「ストーリーテリング」力のある連載など、様々な形を追求してほしい。

 災害など、いざという時、学校や職場で行き詰まった時、頼りになったり、心の支えになったり、そんな役割があるのがジャーナリズムのはずです。新聞などマスメディアが誰にも頼りにされなくなったら、残念ですよね。だから、私は頑張ってほしいなあと思っています。

 角田 結局、重要なのは記者は誰に奉仕しているのか、公共の一翼を担う意識があるのか、ということ。自分が今、この人に接している目的は何なのかという問題意識、緊張感の中でしかできない職業。自分の取材と記事によって、世の中の人により正確な事実をより早く知ってもらう。何よりも隠された事実を掘り起こす。あるいは楽しんでもらう、豊かな発想を得てもらえれば……。そういう思いで日々努力を重ねるのが記者の責務であり、醍醐(だいご)味であることを再確認したいですね。

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 はやし・かおり 東京大学大学院情報学環教授。ロイター通信東京支局記者、独バンベルク大客員研究員などを経て現職。ジャーナリズム・マスメディアを研究し、著書に「〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム ケアの倫理とともに」など。

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 つのだ・かつ 朝日新聞執行役員編集担当兼ゼネラルマネジャー兼東京本社編集局長。山口支局(現・総局)を振り出しに西部本社、東京本社の社会部記者や次長、社長秘書役、文化くらし報道部長、社会部長、人材戦略本部長などを経て20年6月より現職。

 ■記者行動基準、再点検しています 読者の目にどう映るか、信頼を損なうものではないか

 朝日新聞社は2006年に記者行動基準を作りました。取材をめぐる不祥事やトラブルが続いたこともありますが、誰もが自由に発信できる時代を迎え、アマとは違う「プロの記者」の振る舞い方を定める必要性が生まれてきたのも大きな理由でした。

 以前なら問題とされなかったことも、社会や読者から厳しく問われるようになりました。今回の問題を受け、6月には行動基準の再点検を表明しました。これまで無自覚に続けてきた行動を問い直すべき時が来たと考えています。

 プロの記者に最も求められることは、読者の知る権利にこたえるべく、隠された事実を発掘して正しく伝えることです。権力におもねることも、自分勝手な正義感を振りかざすことも許されません。

 今回の問題は、この点に関して疑念を生んでしまいました。関わったのは現役の記者ではありませんでしたが、何かを書こうとしていれば読者の評価はまた違ったのではないかという指摘もあります。しかし、最も反省すべきなのは、読者の知る権利にこたえるための行動ではなかったことです。記者は、読者に必要な情報を提供する責務を負う。その確認が、今回、まず求められていると考えます。

 では書くことが目的ならどんな行動まで許されるのか。正直、この点についてはいろいろな考え方があります。日頃の取材活動に対する発想そのものの転換を求める意見もあります。

 大切なのは、読者に見えなかった取材過程も分かる時代になってきたことです。記者会見の質問の仕方や、各社が一緒に取材先を囲む様子も見られるようになりました。

 その行動は、読者の目にどう映るか、信頼を損なうものではないか。これが、これからの記者の振る舞い方を考える大きな物差しになっていることは間違いないでしょう。

 半面、取材はお行儀良くしているだけでは済みません。萎縮があってもいけません。結局、何を書くための行動か、ということになってきます。

 改めるべき点は改め、守り抜く点は守っていく。日々の取材や現場で意見を出し合いながら見直していきたいと考えています。(記者規範幹事・南井徹)

 ◆キーワード

 <賭けマージャン問題> 新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出ている中、当時の黒川弘務・東京高検検事長と朝日新聞社員(元記者)、産経新聞記者2人が賭けマージャンをしていた問題が5月に発覚。黒川氏は辞職し、4人は市民団体などに告発されたが不起訴処分となった。マージャン時には黒川氏の定年延長を認める閣議決定や、検察幹部の定年延長を政府の判断で可能にする検察庁法改正案への抗議が広がっていた。

 <大阪地検特捜部の証拠改ざん事件> 大阪地検特捜部の主任検事が、捜査の見立てに合わせるため証拠品のフロッピーディスクの記録を改ざんした。2010年9月、朝日新聞の調査報道で発覚し、主任検事は証拠隠滅罪で、上司だった特捜部長と副部長は改ざんを隠したとして犯人隠避罪で逮捕、起訴され、有罪が確定した。

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