(歴史のダイヤグラム)鴎外が疑問視した過剰さ 原武史

[PR]

 1900(明治33)年10月14日の午前7時25分、皇太子嘉仁(後の大正天皇)を乗せた列車が新橋駅を出発した。皇太子は結婚したばかりで、学習の一環として福岡、佐賀、長崎、熊本の4県を訪問するのが目的だった。

 福岡県小倉の陸軍第12師団で軍医部長をしていた森鴎外は、皇太子が小倉を訪れることになった…

この記事は有料記事です。残り954文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

連載歴史のダイヤグラム

この連載の一覧を見る