(社説)被爆75年の夏へ 証言を継ぐ新たな模索

社説

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 広島・長崎の原爆から75年を刻む夏が近づく。被爆地と被爆者は節目に向けて機運を高めようとしていたが、その矢先にコロナ禍に見舞われた。

 広島平和記念資料館は2月末から臨時休館になった。昨年度の入館者は、それまでに175万人を超えて過去最多を更新していた。長崎原爆資料館も当面の閉鎖が続いている。

 原爆ドーム平和祈念像を巡る修学旅行や平和学習も、中止・延期が相次いでいる。この8月、平和式典は例年のように開けるのか見通せないままだ。

 だが、その渦中でも発信をあきらめず、訴えを広める試みが始まっている。核兵器廃絶をめざす歩みを止めない、新たな模索を社会全体で支えたい。

 日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)と支援団体は3月、語り部の声をオンラインで伝える取り組みに乗りだした。パソコンやスマホでの会議システムを使い、若い世代の支援者たちが工夫をこらした。

 初回は、母親のおなかの中で広島原爆の放射線を浴びた浜住(はますみ)治郎さん(74)が「生まれる前から被爆者」だった苦悩を語った。家で過ごす全国の高校生や大学生らが呼びかけに応じてネットでつながった。新たな継承の場になると期待される。

 ことしは核不拡散条約NPT)が発効して50年でもある。今春にニューヨークの国連本部で予定されていた会議に、日本被団協は浜住さんら被爆者30人を派遣するはずだったが、会議は来年に持ち越しになった。

 被爆者の平均年齢は今や82歳を超える。大切な国際舞台の延期を惜しむ声もある。だが、被爆者の生々しい証言の貴さは、広く深く世界で認識されていることを忘れずにいたい。

 3年前の核兵器禁止条約の採択と、それを実現させた国際運動の支柱となったのは、被爆者の積年の訴えだった。各国の政府・市民団体、専門家と国際世論がITを介して被爆者と結束したプロセスを顧みれば、ネット発信は今後も新たな地平を広げる手法になりえるだろう。

 オンラインで先月開かれた原水爆禁止世界大会には、多くの国から約1千人が集まり、75年前の証言に耳を傾けた。中満(なかみつ)泉・国連事務次長は「人々の心を動かす力だ」と評した。

 NGOピースボートも、延期されたNPT会議の代わりにオンラインで核軍縮問題を語り合い、若者ら約600人が「私にできる一歩」を考えた。

 核兵器廃絶の訴えそのものに延期はない。日本政府が本当に「核なき世界」の目標を共有するならば、被爆者の発信に積極的に協力し、核禁条約に背を向ける姿勢を改めるべきだ。

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