ウチナーンチュ肯定した革命 寄稿、作家・池上永一 首里城焼失

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 私は首里城が焼失した現実を、まるで災害に遭った被災者のような気持ちで受け止めている。ショックが大きすぎて、自分がふわふわ漂っているような心境である。

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 一九七〇年代、私の記憶する最初の首里城は「怖い場所」だった。子供の悪ふざけの場で語られる肝試しの場だ。

 当時は復元事業も行われておら…

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