アサド政権下、死を覚悟した収容所 脱出したシリア難民が望む未来

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新屋絵理
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 2013年10月、シリア。インターネットカフェで働いていたとき、兵士らがいきなり店に入ってきた。殴られ、頭に袋をかぶせられて車へ。裸で収容所へ放り込まれた。

 トルコのイスタンブール近郊で、シリアから逃れてきた難民のムスタファ・ワエズさん(33)は今年1月、かつてアサド政権下で収容所に入れられていた経験をゆっくりと語り始めた。

 収容所で、名前の代わりに与えられた番号は「1302」。窓のない地下の部屋で、昼も夜もわからない。毎日の食事と一緒に出される1日2粒のオリーブの種を集め、日を数えた。

 部屋から出された日には、木の板にはりつけられて押しつぶされる拷問を受け、「反体制派か」と聞かれて否定しても何度も殴られた。ひどい下痢が1週間続き、十分に食事や水分もとれず、意識も遠のき始めたときには「ここで死ぬのだ」と覚悟したという。

釈放され、たどりついたトルコ

 約1年後、家族が軍の関係者に10万ドルの「賄賂」を払い、釈放された。

 私は尋ねた。釈放された瞬間、どんな気持ちだったのですか、と。

 「新しく生まれ変わったよう…

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この記事を書いた人
新屋絵理
神戸総局
専門・関心分野
裁判、人権、国際情勢、フランス