元気力 村尾茂樹さん③  隠岐と牛の歩み 物語は続く

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◇海士町観光協会代表理事 村尾茂樹さん(54)

 島根県の隠岐諸島は国立公園であり、ユネスコの世界ジオパークにも認定されている。島根半島の沖合40~80キロの海域にあり、人が暮らす四つの島を含む約180の島々で構成されている。どこへ行っても息をのむほどの絶景に加え、日本史上の出来事と島民の暮らしの中で生まれ、継承されてきた文化に出会える。

 これから本格的な観光シーズンが始まる。隠岐観光の意外な人気者が「牛」だ。私の住む海士町(中ノ島)では、青い海を背景にのんびりと草をはむ牛の姿は日常なのだが、それが島を訪れる人にとっては新鮮とのこと。この牛と海士町の歴史は深い。いつの時代から牛を飼い始めたのかは不明だが、今から約800年前に後鳥羽上皇が京都からこの島に移ってこられた時には放牧されていたと伝わる。

 当時の暦で8月5日に島に到着された上皇の一行。着船地から行在所(あんざいしょ)となった源福寺に向かう道中の国原(くんばら)という所で、2頭の牛が角を突き合わせている光景を目にした。上皇が興味深くご覧になったことから、島民が牛突きを始めたそうだ。その後、牛突きは隠岐全体に広がった。

 江戸時代までの牛は貴重な労働力であり、痩せた土地での耕作に牛の飼育を組み合わせた輪転式牧畑も生まれた。牛突きは上皇ゆかりの神事であると同時に、力強い雄牛の性能披露の場だったのかもしれない。現在は隠岐の島町で、県の無形民俗文化財「隠岐の牛突き習俗」として受け継がれている。

 これが明治になると、食文化の変化とともに発育と肉質の良い子牛を産む雌牛が重宝される畜産にシフト。今では隠岐の主力産業になっている。従来の繁殖に加えて肥育にも力を入れるなか、我が海士町では、「島生まれ、島育ち『隠岐牛』」がブランドとして確立された。島を訪れる人を出迎えているのは、この畜産業の牛である。

 そんな海士町に、牛に関する新規事業が立ち上がった。町未来共創基金の採択を受けて準備を進めてきた牛乳生産事業「まきはた牛乳」である。創業者である掛谷氏は、現時点では隠岐で唯一の酪農家。島の牧畑文化を踏まえ、生産と消費の距離を近づけて、自然のリズムに耳を傾けながら環境と調和した日々をつくるお手伝いをしたいと事業の構想を語る。私もファンの一人。この時期の牛乳は島の若葉の風味がする。

 隠岐と牛の歩みは実に興味深い。きっと面白い続編があるんだろう。

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 むらお・しげき 島根県海士町出身。国学院大卒。神社本庁に16年間勤務。帰郷後、後鳥羽上皇の事績を後世に伝える隠岐神社の禰宜に就く。郷土の文化を盛り上げ、郷土の応援団を増やす活動に取り組む。

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