「言論への暴力、今も」朝日新聞阪神支局襲撃から38年、市民ら献花
兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で1987年、記者2人が散弾銃で撃たれて死傷した事件から3日で38年がたった。支局では拝礼所が設けられ、襲撃事件資料室が一般開放された。訪れた人々は、亡くなった小尻知博記者(当時29)の遺影に手を合わせ、献花した。
大阪府東大阪市の大学2年、岩村莉里さん(19)は事件を扱ったドキュメンタリーを大学の授業で見て関心を持ち、友人らと初めて支局を訪れた。事件を伝える展示を見て、「言論の自由を奪ってはならないという怒り、使命感を忘れてはいけないと思った」。
普段からSNSを使うが、「うそか本当かわからない一つの意見が急に『バズり』、ネット上でまくしたてる今の状況は怖い」と感じる。「機械や人に聞いたことに頼らず、自分の目で見て判断することを大切にしたい」と話した。
阪神支局を訪れたジャーナリストの鈴木エイトさんは「言論を暴力で封殺してしまうことが、今の時代は形を変え、言葉による暴力、ネット上の暴力として残っている。報道に関わる方が銃弾に倒れた事件を教訓に、自分が何ができるか、小尻記者に決意表明をできればと献花をした」。
広島県呉市にある小尻記者の墓では3日午前、朝日新聞大阪本社の龍沢正之・編集局長らが訪れ、手を合わせた。
龍沢編集局長は、「社会を脅かす暴力、言論の暴力は許せないと改めて感じている」と語った。
そのうえで「誹謗(ひぼう)・中傷などで傷つけられる人が相次いでいる。虚偽情報や根拠不明な情報で何を信じていいのかわからないという声をよく聞く。私たちがなすべきことはこれまで以上にある」とし、「若い記者たちにも託していきたい」と述べた。
事件は87年5月3日、憲法記念日の夜に起きた。目出し帽をかぶった男が阪神支局に侵入して発砲。小尻記者が死亡し、犬飼兵衛記者(当時42、2018年死去)が重傷を負った。事件は未解決のまま02年に時効を迎えた。
事件発生時刻の午後8時15分には、阪神支局で朝日新聞社員らが黙禱(もくとう)した…